さりげなく過ぎる人の営みの中の一大事
人類が誕生して40万年。何百億回か何千億回か繰り返されてきた子どもを産み育てる、という行為。こうした人類史の中のたった一人の子どものことを考えれば、それはそれは些細な出来事だけど、初めて子育てにかかわってみると、一つ一つが新鮮で、産んでくれた連れ合いと、小さな体でこの世界を生きようとする自分の子どもがこの上なく愛おしく感じてしまう。あまりに多くの人が感じたこの感覚を言葉にすると、陳腐で恥ずかしいのだけど、こういうことの積み重ねの中で今の人類が存在するのだ、ということに思いを馳せるとなんだか、この荒み始めた世の中が少し明るく見えてくる。
昨日は初オムツ替え、今日は初めてミルクあげをした。後ろの母と義母が心配そうに見つめている。あまりにぎこちないのだろうけど、初めてのことにて致し方なし。
この小さい手。少ししたらくそ生意気になるのがわかっていても、こういう写真は残しておこうと思っている。ぶら下がられても揺らがぬように。
男親というのは、切ないもので、久しぶりに訪れた安らかな時間もここまで。これから京都に帰り、明日は区役所で書類を整え、その数日後にはアフリカに旅立つ。アフリカをフィールドにする男親は子どもが生まれる瞬間、親類の最期の時に立ち会えないことは珍しいことではない。今度会えるのは、1か月半後。きっとメキメキと大きくなり、見違えるのだろう。元気に大きく育ちますように。
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