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仕事のリズム

「ポレポレの国、タンザニア サバンナへの2週間の旅」、こんなタイトルを旅行会社のツアーで見かけるわけだが、「ポレポレ=ゆっくり」、こういうのがアフリカのイメージになってくるわけだ。 セネガルに到着して4日目。初日は到着して、人と会ったりして、2日目は資料収集で5件ほど一気に回れて、3日目はというとほぼ一日ホテルに缶詰め。というのが、動くに動けなかったのだ。とある方に地方の大学の方をご紹介いただくことになっていたのだが、一昨日のうちに連絡がくるはずが、昨日も待てど暮らせど音沙汰がない。もちろん、こちらからも電話をしているのだが。 その間、このアポが取れなかったときのことを考え、他の可能性も探りつつ、結局連絡がつかず、この出張は断念することになった。土地勘のあるブルキナに比べ、セネガルはまだほとんどひよっこ。きっとタクシーとバスでは満足にダカール市内すら移動できない。ますます動くのが億劫になって、結局一日ホテルで少し資料整理をしたり、本を読んだり、論文を読んだり。 ここセネガルは西アフリカフランス語圏でも、コートジボアールと肩を並べる大国の1つ。ネットの速度一つとっても、ブルキナファソとは比較にならないほど早い。Youtubeが普通に再生できるのだ。よって、人の動きも速いのだが、特に優秀な人のところに仕事が集まるのは当然として、それが特に顕著な気がする。ブルキナファソなら、時にアポなしで乗り込むことも十分にあり得るが、ここはそんなことが可能な気がしない。個人主義の気も強い印象を受けるし、何やら日本にいるときとほとんど変わらないような錯覚すら覚えそうだ。 2日目のように、ツボにはまればものすごい速度で仕事は進むが、いったん外してしまうとこんな風になる。このブログ記事を書こうとして「ポレポレ」なんて牧歌的な言葉を思い出したが、街にいる限りはこんな言葉は思い出す余地もない。 昨日はなんとなく他の仕事が進んだし、これはこれでよしとして、今日明日と村の方で調査に入る。木曜日の夕方帰ってきて、金曜日はちゃんとアポがあるので、今回の滞在はこの辺まで。仕掛けの段階としては、大方仕上がってきたように思う。サブの調査地として位置づけているが、ここの面白さも十分にわかってきたし、どこまでできるかわからないが、これから何かはできるだろう。

食文化シリーズ 「Bahakh」と「Thiou」(セネガル番外編)

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3日前からセネガルに入った。この時期のセネガル(ダカール)は、最高気温30度弱、明け方は12-13度くらいまで下がり、乾季なこともあってカラッとしている。まるで夏の軽井沢に海がついているような、夢のような気候だ。他のところで、セネガル飯を引き合いに、いかにブルキナの食文化がコスモポリスか、ということを高らかに主張したので、ちょっとしたフォローの意味も込めてこの記事を書きたいと思う。   セネガル飯、と言えば、チェプジェン(ブルキナではリ・グラ)とマフェ(ピーナッツソース)、スープカンジャ(オクラソース)、ヤッサ(タマネギソース)と西アフリカ内陸部ではおなじみの料理のオリジンだ。ブルキナで「レストラン セネガレ」と言えば、ちょっといい食堂のことだし、セネガル料理自体、この地域では最も評価の高い料理のひとつだ。 ついつい最近まで、セネガル人というのは、保守的でいっつもアブラ飯(リ・グラ:アブラゴハン)ばっかり…などと不遜な考えのまま10年以上過ごしてきたのだが、前回、今回と基本的に知らないものを食べる、という方針にしてからは、まったく印象が変わった。なので、罪滅ぼしの意味も込め、食べている料理をリスト化すべく、ブルキナでは食べられない本場セネガル食の紀行をテーマに、食文化シリーズを進めていきたい。 上の写真はBahakh。運転をお願いしているドライバーに教えてもらったレストランで出会った一皿。一言でいえば「カレーリゾット」。ここのレストランの特徴か、少し酸味が強かったのが印象的だったが、粒の感覚が残る程度に煮込まれたコメがなかなか小気味いい食感を残していた。まさかルーガあるわけでなし、ということはスパイスから作っているのかしら。早稲田の「スタライ」(マーボーゴハンみたいなやつ。レストランの名前を忘れた)ともう一つあったのがこんな感じ。頭の中に「生卵」が浮かんだ。もしくは粉チーズをかけてもうまかろうな、と思う。 下がThiou。このごろりとした野菜、そして、セネガルでは庶民の魚、タイが鎮座している。ソースは、ブルキナでいう、ソースグレンで、パーム油たっぷりの(たぶん)スタミナ食。ごめんなさい。ソースは並、やっぱりこうして具がおかずとしてあることに、セネガルの食文化の厚みを感じる。やはり、少し貧しくなると、まずは満腹感、という感覚が...

20140208-23調査の中間評価

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今回の約半分の調査日程が終了した。今日でブルキナファソ調査の半分が終了して、明日から1週間、セネガルでの調査となる。 とにかく今回は、「ストリート・チルドレン」の統計調査が中心であり、この最初の半分はひたすらその調整に追われ、その合間にプロジェクトの調査を行うという形を取っている。今朝もこの調査でお世話になっている人の訪問を受け、朝ごはん前に少しお仕事だった。何とか、調整は大方済み、ワガドゥグに戻る3月3日、4日、5日と本調査が行えることになった。これはこれで良しとしよう。 プロジェクトの調査の方も、今回は調整業務が多かった。いくつかの課題のうち、半分くらいは済んだけど、こちらはまだまだ。統計調査が終わったら、片づけられるものからどんどんやっていくことにする。ただ、調査プロットの関連性が薄いのだけど、玉ねぎの貯蔵方法やら、排泄物の畑への利用に関しては面白いデータが出てきたし、玉ねぎの貯蔵法を通して、バム県の野菜栽培の違う側面が見えてきた。これはこれでどこかで使えそうなデータなので、今回の収穫物(副産物?)として、持ち帰りたいと思う。 最近はいつもなのだけど、フィールドワークと言ってもヒットアンドアウェイのポイント調査が多くて、人類学云々いうのは少し恥ずかしくなってきた。しかし、とにかくデータを集め、それを組みなおして成果を出さねばならないので、とにかくこの調整業務を最低限の労力でこなしながら空いた時間にデータ収集をしなければ…というのが、今のところの現状。 ブルキナは残すところ後10日ほど。統計調査で3日は最低とられるので、その残りの7日をどうするか。勝負の1週間である。 にほんブログ村

近頃の大学生。オッチャンになったことを自覚する出来事。

先日、お世話になっている先生から、NGOに興味を持っている子がいるから、ちょっと話してやってもらえないか、という相談を受けた。同じくらいの時期に、研究会を共にする知人から、今年度学生と一緒にやったフィールドワークをまとめたから、ということで、報告書をご恵贈いただいた。 報告書を書いた大学生たちには、一度ゲストスピーカーで呼んでいただいているので、向こうは多少僕のことを知っているかもしれないが、NGOに…という方の方は一切面識なし。つまり、テクストだけが彼(女)らを知る唯一のカギだ。 まず、「NGO青年」(NGOに興味を持つ学生をこう呼ぶ)。将来はUNESCOで働きたい、という夢をもち、最近NGOのスタツアに参加した。その先生の影響でか、アフリカに興味を持っているので、アフリカで活動するNGOを紹介してほしい、ということだった。とにかく事前情報がないので、少し情報を、と思い、根掘り葉掘り聞いてみる。すると、そのうち、アフリカを見たい、ということになり、それなら、ということで、バックパッカーでもしてみたら、と勧めてみた。向こうも僕のことを知らないわけで、そうそう突っかかっては来ないだろうと思っていたら、思ったよりも素直で、大概すべて僕の話したことに従っていく。逆に気味が悪くなってしまって、ついつい「突っかかってもいいんだよ。僕はメールでしかあなたのことを知らないから、間違ったことも言ってると思うし…」などと言ってしまう。 就職のこととか、大学生が必ず頭を悩ますことで頭がいっぱい。夢はあるけど、その夢がどこから来ているのかがよくわからずに悶々とする、そんな感じだろうか。僕らのころは、NGO/ボランティアという言葉が「偽善」という言葉に結び付くことが多くて(最近のネット系の人たちくらいの志向だったんだな…と最近気づく)、自分の汚さについて悶々と悩んだような気がするが、「NGO青年」の世代はあまりそんなことは考えないらしい。じゃあどの辺に「NGO青年」の興味があるのかといえば、それは相変わらずよくわからないまま。「少し落ち着いて考えてごらん」そんな風にして、ちょっと考えてもらっている。 次に報告書。これは3年生、4年生くらいが受講するフィールドワークの実習講義の年度末報告書なのだが、学生の皆さんは、こうした冊子になるような文章、報告書の類は初めて書くのだと思う...

食文化シリーズ「牛皮ソース」

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定宿から20m。毎朝何十人もの地域の人びとの腹を満たす一杯。まだおばちゃんの写真が撮れないのだけど(確実に嫌がるだろう)、ハスキーな声と情に深そうな表情は地域のママさんと呼ぶにふさわしい。初めて行った頃はは机一つでやっていたが、そこに屋根が付き、手伝いのお姉さんがついたりして、その繁盛ぶりがよくわかる。 朝7時。僕は起き抜けに週に2,3度行くのだが、このおばちゃんは決して順番を間違わない。われ先にありつこうと、どんどん人が中に入ってくるのだが、先に来た人に確実にサーブする。それに文句を言うと、大声で追い払われる。朝から平等の有難さを感じる。 日によって多少メニューが違うのだが、この牛皮ソースは定番。僕でもコメを250フラン(50円)分頼むと残してしまうほどの盛の良さ。そして、1枚50フラン(10円)の牛皮。行き初めのころは、固い皮を回されて、一度はスプーンを折ってしまったほどだったが、さすがに常連ともなると、いいところをくれるようになった。ゼラチンたっぷりの皮と濃厚なトマトソース。日本にいてもついつい思い出してしまう逸品だ。 しかし、問題はこのおばちゃんが朝しか営業していないことで、朝から苦しくなるほどお腹いっぱいになってしまう。何人もの日本人を牛皮ソースを食べに連れ出したが、ほぼ全員がギブアップして、パンにコーヒーを選んだ。心の中で密かに「このヘタレめ!」と叫びながらも(笑)、仕方ないですね…などとちょっと悲しそうなふりをしてみる。 人がたくさんいすぎて、料理の写真を撮るのすら憚られたが、とうとう今朝撮ってやったのだった。いつかあのおばちゃんもレンズに収めたいな…と思った朝だった。ゲップ… にほんブログ村

食文化シリーズ「スンバラ飯Riz au Soumbara」

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晩御飯を食べたら眠くなって寝たのだけど、早く寝すぎて深夜に目覚めるという、相変わらずどうしようもない生活パターンにはまり込んでいる。 さて。写真にするとこのプレートのボリューム感とか、アツアツ感が伝わらないのが残念なのだけど、これで3人前。重さにして2㎏ほどはあるだろう。上の方に乗っているのがキャベツを煮込んだもので、これを入れて占めて1,400Fcfa(約270円)。 スンバラ飯。スンバラというのは、西アフリカ内陸部に独特の調味料で、主にネレ(ニェレ)の実を発酵させて作る。ネレ以外にもオゼイユなどの実で作ることもある。その見た目は黒納豆、匂いは納豆にかなり近い。このあたりに初めて足を踏み入れたりすると、みんなおっかなびっくりしながら食事をするわけだけど、日本人の多くがこれにずいぶん助けられていることだろう。反対に、みんな言うのが、フランス人でこれを食べているのを見たことがない、ということ。美食の国とか言っておいて、この旨さがわからんようでは、まだまだだな。フン! そんなわけで、このスンバラとおそらくトマトとか玉ねぎ、あとローリエとマジーあたりでコメを炊き込んだのがリ・オウ・スンバラなのだけど、ここのレストランではその上に、リ・オウ・スパゲッティを乗せる。スンバラ飯は定番なのだけど、スンバラスパゲッティは見たことがなかった。みんな必ずスパゲッティを乗せているので、そこは郷に入ればなんとやら。その理由はすぐにわかった。ここでは、コメ+スパゲッティにさらにスンバラスープをかけてくれるのだけど、これが激熱。コメは熱い汁をかけると冷めにくく、逆にスパゲッティは意外に冷めやすい。つまり、ご飯が冷めるまでの間、スパゲッティを食べればいい、ということ。 このレストランはグンゲという地区の少し東側にありますが、看板もなく、目の前に止まっているバイクが唯一の目印。中に入ると席数30ほどで驚くほど広いのだけど、日曜の朝あたりは満員になる。この日は平日だったけど、朝は9時におそらく数百食を売り切っていたほどの隠れた有名店。とにかくパンチのある店で、ワガドゥグの庶民派レストランでも僕の中では最高ランクのお店のひとつ。 一緒に行ってくれる方で、魚のフライ(値段不明だけど、かなりでかい)をおごってくれたら場所教えます。 にほんブログ村

そして今日も一日が終わる

同僚であり、先輩がワガドゥグを発った、というのは昨日書いたのだけど、帰ったら帰ったで、また変わらぬワガドゥグの一日が始まる。 朝からストリート・チルドレンの調査の打ち合わせをして、少し早かったので、お昼前に旧友の顔を見に行った。なんか少し歩きたくて、グランマルシェからホテルまで歩いてみたりした。そして、いつものレストランでお昼を食べてホテルに帰って昼寝をして作業を再開(今日は特に少しゆっくり目、と思っていたので)。なんか今日はあんまり人の顔が見たくなかったので、ホテルのフロントのデズィレを相手に、先輩が置いて行ってくれたコーヒーを入れて飲んでみたり、やっぱり先輩が置いていってくれた「命の水」を新しい原稿やらレポートやらを書きながらちょっと飲んでみたり。 血税を使わせていただいている以上、限りなくストイックでいるべきであることは重々承知の上で、なんかこんな日もないとしんどいな、などと自分で少し甘やかしてみる。切羽詰っているのに、そして、追加調査ができるはずなのに…と思うと、一瞬たりとも無駄にはできないのだけど。 今の職場に来てから、資金的に潤沢になったこともあって、ものすごく効率がよくなった。車が使えるようになったことが大きいのだけど、なんかちゃんと歩くことが少なくなって、頭の中の景観ではディテイルが追えなくなってしまったことに気が付いた。先輩の滞在期間が短かったこともあって、ここ数日に関しては、まるで(もしかしたらそれ以上に)日本にいるときのような効率で動きまくった。なんせ、去年までに培った僕のフィールドを回り、さらに、たまにいくボボディウラッソやらバンフォラまで回ってしまったほど動いたのだから。 プロセスの時間を短縮して、効率を求めると、そこで失う行動のバッファや一見無駄に見える寄り道が一気に消えてしまう。今日も歩いていて、「あ、昔はここにあのオッサンがいたな」とか、「ここら辺でいつもあのおばちゃんに声をかけられてたな」とかいうことがずいぶんよみがえってきた。また、イチゴを頭の上に乗せていたマダムたちを見ていて、「そろそろ終わりの時期かな。買おうかな…」とか思ったり。貧しかったころに足で稼いだディテイルはなかなか消えないし、この土地のサイクルが表象された景色はいつでも思い出せる。そして、それこそが僕が人類学を目指してきた根源なのだ… などと、少...

何か書きたくなった。

さっき同僚を送りに空港に行ってきた。もう付き合いの長い人で、かれこれ10年くらいの付き合いになる。今回は、ふんわりした調査だったので、僕の調査のチェックをしてもらった。こういうことができる人がいるのはとてもありがたい。それなりに刺激を受けて帰って行ったし、まあ、いろいろアレンジしてよかったというものだ。 毎晩ちょろっとお付き合いいただいていて、急にいなくなってなんだかさみしいのか、なんか無性にものが書きたくて。だったらさっさと論文書けよ!というところなのだけど、どうもそういう気分でもない。 でもこんなことを言語化したら急に虚しくなって、書く気もしぼんできたので、この辺にて。明日の朝は早起きで仕事があるので、さっさと休むことにする。おやすみなさい。

食文化シリーズ「リグラRiz gras」

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「アブラ飯」、直訳するとこんな魅惑的な名前になる。だが、西アフリカの多くの地域で食べられるコメの代表的な料理だ。 アブラでコメを炊く。この料理法はおそらくはセネガルのチェプジェンに起源を求められる、と言っても問題ないだろう。その影響もあり、セネガル・レストラン(「セネガレ」と呼ぶ)はリグラのオリジナルを出す店として、街中のちょっといいレストランとなる。 ワガドゥグでも、ちょっといいレストランは街中のいたるところにあり、きっと少しおカネに余裕があるときに食べに行ったのだと思う。しかし、近年、セネガレの競争が激化している。そして、物価上昇に伴い、ちょっといいレストランだったはずが、リグラの値段も300Fcfa(60円)⇒500Fcta(100円)⇒700Fcfa(140円)と、庶民には口に入らなくなった…というのは単略的で、多少高くなっても、おいしいお店には今もお客があふれている。 写真のリグラはワガドゥグの中心部、サンレオン地区にあるお店のもの。ふつうはアブラで炊いた味付きゴハンに、ニンジン、キャベツ、ニガナス、魚の素揚げ、マニオク(キャッサバ)とかサツマイモなどが乗っているのだが、このお店のリグラには、キュウリや玉ねぎを刻んだサラダ状の野菜が乗る。ここは高くなって量が減った(と思っていたら、割と盛ってくれた)と思っていたので、ジャガイモのトマト煮(ラグー)をトッピング。占めて1,000Fcfaなり。 まだまだこの先1か月しっかりお世話になる料理です。 にほんブログ村

食文化シリーズ「ト」

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仕事で「調査に行った回数のエッセイを書くように」との通達があった。プロジェクトで行った出張、すでに6回?7回?ネタ数としては、ちょっと厳しい… このブログを下原稿にすべく、新たなカテゴリーを作ってみた。「食文化」。研究対象としては、人間の必須要素「衣食住」の一つにして、実はとても難しい。日本の人類学で代表的なのは石毛直道先生だけど、どうしてもモノグラフ的になってしまう。共食とか、環境とか、農業とか。人間のほとんどの活動が食糧獲得に通じていくものの、あまりに多様であり、また人類に普遍的に過ぎ、逆にどんな切り口が面白いのかはあまりアイデアもない。 とにかくもっと矮小な切り口から、たとえば、ワガドゥグレストラン情報、とか、そんなところを目標にしていきたい。 写真はコングシのレストランのトとソース・オゼイユ。ブルキナのソールフード。レストランにて、少々油は多めだが、ソースのちょっとした酸味が暑い中での食欲をそそる。ブルキナに通い始めて15年。実は、トを日常的に食べるようになったのはここ2年くらい。しかし、最近はそれぞれのレストラン、知人のお宅に御呼ばれした時にはでできるだけ食べるようにしている。 あぁ、こんな短い食レポではいつエッセイになることやら… にほんブログ村

都知事選に関する一考察

都知事選が終わった。都民でもないけど、この国の首都の選挙で、かなり国政にも影響が出そうな雰囲気もあったので、薄っすらと関心を持って見守っていた。僕個人としては、宇都宮さんあたりがよかったのではないかな、と思っていたけど、舛添要一さんの圧勝だった。家入氏のことを少し書いたけど、やっぱり僕はあまり好きになれなかった。 原発の是非や福祉と言った、国政レベルの議論が地方自治の中で語られることは、まったく間違っていないと思う。電力も原発の電力を都が買わなければ(というシステムを作る方向に動けば)それなりのインパクトがあるし、福祉についても、どんな福祉が必要なのか、をいくつかのレベルで議論できたはずなので、国と地方でできる議論とできない議論に分けてしまうよりもこの方がよかったように思う。 その意味で、傍から見ていると、政策の軸がブレて、そのズレを指摘し合っていたのはとても残念。ある友人も言っていたけど、原発推進派と反対派がいて、反対派は具体的なガイドラインを示すことができなかったから票にならなかったのではないか、と。その意味で、鳴り物入りで出馬した細川氏と宇都宮氏で票を分け合った感があるけど、二人足して、さらに家入氏を足しても舛添氏の得票に届かなかった(そして推進派の田母神氏を加えたらその差はさらに大きくなる)。そんなわけで原発の議論に関しては、僕の友人はとても鋭いと思った。ただ、恐怖体験から逃れるためだけに反対するのではなくて、自分たちの生活がどうなるのか、そして、どうしたいのかを説得的に語る必要がありそうだ。僕はできれば今くらいの生活レベルがあってほしいし、もう少し先には多少経済的にも豊かになっていたいので、原発を減らしながらこれに代替するものを開発していく、という道筋がいいと思うのだけど。こんなこと言ったら怒られるんだろうか?とにかく、原発を止めてみたら電気代が上がったとか、そういう話から迫り上げて行けば、おのずと賛成反対だけでは議論にならないことがわかりそうなものだが… そして、家入氏。なんか絡んでみたくて仕方がないのだけど、インターネ党?だったか、これは本当に政党になっているのかすら知らずに申し訳ないのだけど、この党はいったいどういうことだろう?なんとなくこれからの選挙の在り方のモデルをだしてくれたように思うけど、まだ時代は家入氏にはついていっていないな、...

再び『日経ビジネス』とワガドゥグ

昨日に引き続き、『日経ビジネス』から。 マリを引き合いに、ブルキナファソのことを見てみようと思う。なぜマリか、というと、以前ブルキナに赴任している経済の専門家からこんな話を聞いたからだ。氏は西アフリカの経済を概観すれば、ナイジェリアを別にすれば、コート・ジボアールという巨大な国家があり、その少しあとをセネガルが、そこから大幅に遅れてマリがあり、さらにずっと遅れて他諸国があるという図式なのだそうだ。戦争があっても侮れないマリの国力、こんなことを言っていた。 今回の『日経ビジネス』の巻末にアフリカ各国の「1人あたりのGDP」というのが書いてあって、人口があるから、簡単な経済力の比較が可能だ。 マリ: 1人あたりのGDP:631ドル 人口:1399万人 GDP:882,769万ドル ブルキナファソ 1人あたりのGDP:602ドル 人口:1554万人 GDP:935,508万ドル とこんな感じだ。まず人口がブルキナファソの方がこんなに多いのに驚いたが、1人あたりのGDPでもこれほど開きが縮まっていたのも特記すべきことだ。 肌感覚としても、食堂の値段がずいぶん上がったのに、結構いっぱいになっているし、ずいぶんこの国もお金が回り始めたのだな、ということは感じていた。 また、今日も午前中ワガドゥグを回っていたけど、複層階の建物がまたこの数か月で増えたような気がする。地図を買いに行っても、2004年発行のものと比べると、縮尺がずいぶん縮まっていたり(つまり、ワガドゥグが広がっている)というところにも都市発信の経済発展が進んでいるのは間違いがない。 手前味噌だが、『日経ビジネス』には、「安定した政治 西アフリカの優等生」という評が与えられている。平和は財産、これもどこかに書いたけど、今回、ドライバーと会って最初の会話が、現大統領がまた憲法をひっくり返すのではないか、ということだった。この事情を知らない『日経ビジネス』の認識の甘さを嘲笑するのは簡単だが、今のところ、この「安定した」政権だからこそ、わずかずつではあるが、安定した経済成長が達成できていると言ってもいいだろう。 マリの成長率は‐1.2%、ブルキナファソは8.0%の成長率だ。安定と内戦を如実に表す数字だと言っていいが、この評価はもう少し後になって考えてみるべきことだろう。

道尾秀介『龍神の雨』

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  誘惑に負けて空港で買ってしまった1冊。行きの飛行機ではウェーバーを読むぞ!と意気込んで搭乗したものの、ついページを開いてしまったが最後。一気に読み切りってしまった。 2,3年前から少しずつ読んでいる道尾作品。どれも非常にクオリティが高い。扱う題材が重いのに話のテンポも、話の展開をもったいぶった感じも、読後感もとても好きな作家。 この作品は複雑な2つの家族の2つの兄弟(妹)が主役。面白く感じたのが、最初に付与された登場人物像がドラスティックに変化していくところ。適当に読んでいると人物を見失ってしまいそうになった。前の作品(『月と蟹』)でも書いたけど、とにかく子どもの心理描写が実に旨い。今回は小学生から思春期、19歳までの子どもが出てくるけど、(小学校5年生は少し大人すぎる気がしたが)、しっかりと書き分けられていて、14歳の少年(おそらく反抗期を想定した)の心理描写は自分の当時の心境をおもいださせるほどだった。 そして、巻末の解説が最後の山場(?)。道尾氏の飲み仲間、という方のものなのだけど、よほどうれしかったと見え、非常に熱のこもった解説。よく読み込んでいるし、こうやって道尾作品を楽しむめ、という気迫を感じた。そんなわけで、最後まで面白かった作品だった。

アフリカ報道の変化と人類学と援助

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昨夜パリに到着した。出発前、成田で予定になく本屋をぶらついてみたら、下の写真の『日経ビジネス』が目に留まり、とりあえず購入。以前、『東洋経済』でも特集があったな…と思い、写真だけ探してみた。それぞれ、もはや暗黒大陸、援助対象国というステレオタイプを抜け出し、アフリカを市場として捉えるべき、という論調は共通している。東洋経済は立ち読みだったので、どんな内容だったか覚えていないけど、この『日経ビジネス』、現在アフリカで活躍しているいくつかの企業の特集が組まれていて、とても興味深い。 いずれの特集も、「援助対象→市場」という論調。人類学やアフリカ研究で脈々と主張されてきた、他者(アフリカ)理解で乗り越えねばならない壁を一気に超えてしまいそうだ。ある意味、人間の良心に訴えかけるような手段で、ブリコラージュや戦術的な人びとの対応を駆使して、アフリカの人びとがコロニアル、ポストコロニアルな状況の中を生き延びているのだ、とする、私たち(特に援助関係者、人類学者)の欺瞞を暴き立ててきたものが、まったく違うストーリーを通ってぶつかった感じを受ける。 これはこれとして、現在のアフリカを取り巻く外部の(アフリカ人研究者も寄稿しているが)まなざしとして捉えておくべきことだとは思う。ただし、やはりあまりに性急で、ほとんどか一部かわからないけど、僕がもついくつかの風景にはあまりに不釣り合いであることは、人類学者、援助関係者としては、まだしばらくは言い続けなければならないだろう。 たとえば、ブルキナの農村、ニジェールの農村において、一部の機械化は土壌の劣化を招くことがわかっているし、そこに化学肥料を投入すれば、肥料を買うために耕作するというスパイラルに落ち込むことは経験則的にわかっている。こういうところに我われの暮らす世界並の貨幣経済を当てはめた時にどうなるかは火を見るより明らかだ。これまでに十分議論されてきたように、集約的な労働、過度の機械化は決して豊かさをもたらさない。 ところで、先日、ブルキナの親友からメールをもらった。何度か僕も訪問させてもらっているのだが、彼は自身の出身地とワガドゥグの近郊に施設、学校を建てている。彼から、そういう活動に興味のあるNGOやファンドはないか、という問い合わせだったのだが、僕のアンテナにはそういう情報は一切...

本に関する習性

相変わらずボヤボヤしながら、時間だけは過ぎ去っていくという(確かに雑用も多いのだが)、日常を過ごす中、これもすでに日常化しつつある調査への出発が明日に迫っている。向こうでやることの準備は悪くないペースで進んではいるのだが、結局終わらせるべき大きな仕事が一つ終わらず、向こうに持ち込むことになった。非効率なスパイラルである。 そんなこんなで、バタついているものの、昨日までにちょっとした時間の合間に今回の調査にもって行く本を決めた。いつもは小説(逃げ場)を用意したけど、今回は、研究を進めていく上での基本書を中心に持っていくことにした。ボーっと読んでしまったウェーバー、ジンメルの再読(「プロ倫」とか読んだのが昔過ぎて最近ちょっと怪しいので)、あと、この前の研究会でこれくらいは読んどかんといかんだろ、と言われて怒られたアサドを2冊。そして、ちょっと前に「民俗学を読むぞ!」思い立ったときになぜか手に取った鶴見俊介(表題とか目次が魅力的)をとりあえず2冊、あと、小説は田中慎也を2冊。その他、論文資料多数。 毎回そうだけど、結局荷物の半分くらいが本になってしまう。チキンハート丸出しである。 ところで、もともと図書館で本を借りたりするのが苦手で、なぜかと言うと、僕はとても記憶力が悪くて、手元に本がないとアイデアが湧かないため、というのと、うっすらと収集癖があって、常に手元にないといけないこと、そして、何より、本に書き込みができないとちゃんと本が読めないということがある。なので、基本的に本は買う。まだ計算をしていないけど、今年は本のレシート、領収書を保存して置いてみた。カードの引き落としとか、経費で購入した分なんかをあわせると、最低でも50万円くらいは買っているのだと思う。当然、そんなに読めるものではないので、積読が大量に増える。以前はそれはそれで満足していたけど、人の論文を読んで積読になっている本を旨く使われているときには、そのあせることと言ったらない。だったら読めばいいじゃないか、と言っても、そんなことを言ったって時間も限られているから、本を読んでばかりはいられない。 この辺の事情を考えたとき、買った本を読まねばならない、という強迫観念から如何に逃げるか、本当に必要な本をまず読み、それに肉付けするように周辺の、もしくはまったく別の領域の本を読むことが大切ではないかと...

調査準備20140208‐20140314

ここのところ、本当にフワフワして日々を過ごしている。体調が悪いわけでもなく、やる気がないわけでもなく、仕事は目の前にあって、その中のいくつかはなんとなく終わっていくのに、何か地に足がつかない、というか、手ごたえがない、というか。こういう時期もあるのだろうから、こういう時なりにやり過ごせるようにならないと。 最近、思うのだけど、自分が「やらねばならない」ことに対するスタートがとても遅くて、少し気を利かせようと思ってやる、つまり余分なところはサッサとできることが分かった。変な自己分析だけど、きっと自分のメインストリームを傷つけられるのが苦手なんだろう。なんてナイーブなやつなんだ…自分のことながら、情けない話。でも、メインストリームだからこそ、何かの負荷をかけてでもやり通さねばならない。今回の調査はまさに、メインストリームの今後の自分の研究の根幹部をなすものになるはずなので、今一度褌をしめなおしたい。 今回はブログにも何度か書いてきた、「ストリート・チルドレン」の統計調査がメインの仕事だ。でもこんなこと、自分ひとりでできるはずもなく、KEOOGOというローカルNGOに手伝ってもらうことになる。一昨年9月から話は始めているものの、上に挙げた通り、年明けまでほとんど話は進められなかった。もうちょっと早くできればよかったけど、何とか向こうの知人たちが動き始めてくれたおかげで、ここ1週間で事前の打ち合わせはずいぶん進んだ。まだ最終的な詰めが終わっていないけど、あとは現地に行ってから。どうやっても準備不足には陥るはずだから、この辺で踏ん切りをつけて、あとは現場で出たとこ勝負。 プロジェクトの調査については、ここの所数週間でボスからたくさんのリクエストをもらった。5,6箇所訪問、打診、という作業があるけど、これはリストを作ってつぶしていく作業。そして、本格的な調査も2か所で始める。土壌劣化防止+収入向上の混交技術と土着の技術の融合の調査だ。 セネガルの方も大体アポ取りが終わったけど、サンルイの大学へのアポがまだ甘い感じがする。明後日向こうの知人に電話して最後の詰めをする。 こうやってまとめだすと、あぁ、小説を用意していなかったな、とか、原稿を終わらせておけばよかったな…とか、あれを買ってなかったなとかいろいろなことが出てくる。フワフワしてしまうような緊張感のない日...