Sagbotengaのイマーム

今回の滞在はプロジェクトの立ち上げが業務で、さほど自分の調査は期待できなかったが、その少ないチャンスが今日。

以前何度か書いたSagbotengaのイマームが病気療養のためにワガドゥグに滞在している、という話をアミノゥから聞いた。アミノゥはあれ以来Sagbotengaのイマームの末っ子の仕事を手配したり、と個人的にも関係性を保っている。

朝からアミノゥのモビレットを駆って、Tanpuyにあるイマームの家族の家を訪れる。近くに住むZakariaにも声をかけ、3人でお見舞いに伺った。

場所はTanpuyのマルシェそば。Zakariaの家のすぐそばにあった。この家はイマームの長男が営むコーラン学校(これで調査になった!)で、65名の子どもたちを養っている。

イマームは2週間ほど前にワガドゥグに来て、病院で手術を受けたとのこと。しかし、術後の経過も良さそうで、顔色もよく、いつもの穏やかな笑顔を僕らに向けてくれた。お見舞いのフルーツを渡し、雑談程度に話を聞く。今回、聞こうと思っていたのは、Yarseの分布についてで、これは、今の仕事の現場の2ヶ村が共にYarseの村だったためである。つまり、ワガドゥグの南にSagbotengaを中心に5つのYarseの村があり、ワガドゥグの北側にも同じくYarseの村が散見されるためである。今、僕がイメージしているのは、ワガドゥグを囲むようにしてYaeseの村があるのではないか、ということ。確実に交易路沿いに村が宿場町のようにしてあるのは理屈として分かりやすいのだが、どうもワガドゥグ(王都)に近いところにはYaeseの村は少ないような気がした(直近にDar es Salaamという村があるのだが)。北部のモシ王国との関係もあるはずだから、いずれにしてもペリフェリーではあるのだろうけど。

この仮説には明確な答えは得られなかったが、まあ、あと10日ほどワガドゥグに滞在する、ということで、また少し話が聞けるチャンスもあるだろう。そんなわけで、少しコーラン学校を見学させてもらったりして、久しぶりに自分のフィールドノートをよごせたので、ちょっと興奮気味な夜です。

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