『原爆の子』 1952年 新藤兼人


8月6日。今日は70回目の原爆記念日。高校生までを巻き込み盛んになる反安保法案のデモ。こんなときだから見ておきたい、原爆投下から7年後に作られたこんな映画。

今回も連れ合いの提案で仕事を早々に終えて三条の京都文化会館のフィルムシアター(なんと昨日は無料!)へ。昨年は7月に『祇園祭』を見たけど、やたらとギャラリーがうるさくて、気分が悪かったけど、今年は…(やっぱり映画に飽きたおっちゃんが独り言を言い始めて「ああ、またか…」でした)

ストーリー
乙羽信子演じる石川孝子は原爆で家族を亡くし、現在は瀬戸内の島で小学校の教師をしている。夏休みに入り、孝子が勤めていた幼稚園の子どもの下を訪れようと、広島にわたる。生家があった場所を回ると、橋の袂に広島の実家で働いていた岩吉(滝沢修)と再会する。岩吉は原爆でほとんど視力を失い、物乞いに身をやつしている。一方で、孝子が働いていた幼稚園に来ていた子はたった3人しか生き残っていないことが分かる。一人ひとりを訪ねていくが、当時の生徒やその家族には相変わらず原爆の傷跡を見ることになる。しかし、ほんの少しの希望は、3人目の子どものお姉さん。原爆で両親をなくしたものの、兄弟はすべて無事。ただし、お姉さんが家の下敷きになって足に大怪我を負う。結婚を誓ったいいなずけは戦地から戻ってくるが、無事に結婚することになる。大きな傷を負った広島、日本が再生産をはじめる瞬間だった。そして、孝子は岩吉の孫、太朗を引き取りたいという。岩吉は、孤児院に特別に入れてもらっているとは言え、唯一の心の支えの太朗を連れて行かれることを頑なに拒む。太朗自身も、祖父岩吉の元を離れるのを泣き叫んで拒む。しかし、岩吉の隣に住む、屑拾いをするおとよ(北林谷栄)の説得もあり、原爆症がいつでるか分からない自分のそばにいるよりも、孝子に預けることを選択。決心する。しかし、その代償は、自分の命。家に火をかけて命を絶とうとする。岩吉は結局そのまま亡くなり、孝子は太朗を連れて帰ることになる。

こうした映画を見ていると、アートの持つ力を実感させられる。間違いなく、出演している役者、監督やスタッフのすべてが先の大戦を何らかの形で経験していて、その原風景を再生産している。僕らの時代の人間が接しうる、最もリアルな形がこうして残されているのだ。昨今「話題」の百田尚樹さんの『永遠のゼロ』などは、こうしたリアルな経験の消滅に警鐘を鳴らすという側面があるわけで、早晩、百田が描いたように、太平洋戦争を経験した方は費えていくのだから、こうした戦争を経験した人が作った映画はより大切な僕らの財産となっていく。

毎年8月の声を聴くようになると、テレビや新聞がこぞって戦争を見つめなおすモードに入る。ヒステリックに反戦を叫ぼうとは思わないが、毎年なんらかは戦争について考える瞬間を持つのは悪いことではないと思っている。

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