1930年代前半、グリオールらと共に、ダカール=ジブチ、アフリカ横断調査旅行に参加したミシェル・レリスの本。 文庫本なのに、1000ページを越え、しかも値段も2,800円とハードカバー並み。まくら代わりに、と思って買ったら、いい加減読み終わらない。 一時発禁になったというほど、公文書としてふさわしくない内容(もちろん性描写が多いのですが)があり、幻なのはこの本の方だったらしい。 今から80年前の「民族誌学」というのがどないなもんだったのか、不勉強な私は教科書で少し読んだことがあったものの、実はこういうのは初めて読みます。読んでいて思うのは、エヴァンス=プリチャードあたりが、えらく冷徹に調査に徹しているように見えてしまうほど、とても私的だし、詩的だ。レリスとかグリオールが現地の人を殴っちゃったりする。それで、それを反省する。ヒューマニズム、というのが、今ほど意識されておらず、それを模索している時代性がとても感じ取れる。 この本で、一番興味があったのが、ワガドゥグの記述なのだが、300ページくらい読んでいたらやっと出てきた。おっ、と思ったら1ページも記述がなく終了。ドゴンから南下してくるルートを取るのだが、モシ台地に来た途端に、 「…恵まれた田園風景。女たちはきれいで、張りのある美しい乳房をしており、心のこもった仕草をする。男たちは陽気そうな様子で、健康だ。だがしかし、ドゴン族と比べると、民族誌学的にはなんという貧しさ…」(248) 「朝、ワガドゥグへ向けて出発。昨日よりもさらにつまらぬ地方。…」(248) でおしまい。ちょっと残念。 ただ、僕もここの文化の平板さには辟易していた時期がある。「研究」という活動を始めて、5年間、割と最近までどうしてもここになじみ切れなかった。以前は「ハリボテ」という言葉をよく使っていたように思う。その裏に何があるかわからなかったし、それを話そうともしない。妙な負け犬根性みたいなのが見えたり、ニコニコしてるけど、決して僕が他のアフリカの国で出会った親切にもあわなかった。5年通ってまだアウェイ感が強かったように思う。そして、この街、本当に見るものがない。どうも何かをまねしているらしいのだが、そのまねがなんのまねだかようわからん、とか。音楽でも絵でも、工芸品でも何から何までヘタクソなのだ。 ちょっと迂回して...