そして…あきらめと次へ。
ザングエテンの動乱を追うべく、1年分の新聞に目を通し終わった。日本語でも1週間では読み切れないであろう量を、なんとか正味2週間で「目を通した」。
2003年。この年はワガドゥグの変化の年で、市中心部のグランマルシェは焼けおち、ザングエテンの住民が暴れた。ある意味、商業の中核が相次いでなくなった年であったといってよい。反面、これらが中心だと思われていたのに、実は大した中心でなかったことが、その年以降もワガドゥグが順調に経済発展していたことから証明されてしまったのでもあるが。
ということのディテイルが知りたかったので、新聞とにらめっこしてみたが、ザングエテンに関する記事はほぼなかった。L'observator誌と言う、左派系と言われている新聞で、こんな記事は結構好きなんじゃないか、と思ってこの新聞を採用したが、なぜか何もない。
他の新聞(Sidwaya誌)にも手を伸ばしかけたが、やめた。時間は刻一刻となくなっていくし、中途半端に手をつけると再開するのが億劫になる。真っさらな仕事として残しておくことにする。
なんか、次の機会が近くにありそうだと思っていたが、どうも政治の荒波の中に消えてしまう可能性もあるらしい。まあ、いろんなタイムリミットが差し迫っているが、ひとつひとつけじめをつけないといけないだろう。
残り滞在期間は1週間。調査可能日数は2日間。
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2003年。この年はワガドゥグの変化の年で、市中心部のグランマルシェは焼けおち、ザングエテンの住民が暴れた。ある意味、商業の中核が相次いでなくなった年であったといってよい。反面、これらが中心だと思われていたのに、実は大した中心でなかったことが、その年以降もワガドゥグが順調に経済発展していたことから証明されてしまったのでもあるが。
ということのディテイルが知りたかったので、新聞とにらめっこしてみたが、ザングエテンに関する記事はほぼなかった。L'observator誌と言う、左派系と言われている新聞で、こんな記事は結構好きなんじゃないか、と思ってこの新聞を採用したが、なぜか何もない。
他の新聞(Sidwaya誌)にも手を伸ばしかけたが、やめた。時間は刻一刻となくなっていくし、中途半端に手をつけると再開するのが億劫になる。真っさらな仕事として残しておくことにする。
なんか、次の機会が近くにありそうだと思っていたが、どうも政治の荒波の中に消えてしまう可能性もあるらしい。まあ、いろんなタイムリミットが差し迫っているが、ひとつひとつけじめをつけないといけないだろう。
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