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地球研オープンハウス

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本日は地球研オープンハウス。年に一度の市民への研究所の公開のイベントです。 結構いろんなことをやらねばならないのですが、なぜか昨日はプロジェクトの飲み会という… ともあれ、朝から準備を再開しています。

映画「人生スイッチ」ペドロ・アルモドバル(製作)、ダミアン・ジフロン(監督)

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お休みが合ったので、今日は映画。連れのチョイスで「人生スイッチ」を見てきました。今年劇場で見た中で一番面白かったですかね。 この映画はアルゼンチンのダミアン・ジフロン監督の作品で、「おかえし」、「おもてなし」、「エンスト」、「ヒーローになるために」、「愚息」、「Happy Wedding」の6本の短編で構成されています。話は「私たちの生活の中には切り替えてはいけないスイッチがある」とされていて、様々な出来事や過去をめぐる人間の感情のもつれや恨み、そこから展開されるとんでもな出来事をコメディタッチに描く。 この作品、最初の5本はあんまりハッピーエンドではないのだけど、最後の「Happy Wedding」は、どたばたの結婚式の末に問答無用のハッピーエンドが待っている。最後だけが唯一救いがある。情熱的なラテン系の「愛は勝つ」的なメッセージにも読めるのだけど、「おかえし」で出演しない犯人が結局「おかえし」をするのが全ての人の元にある親で、最後にその親を作りだす、なにやら輪廻を演出しているのか、と思わせる節も。こういう短編に盛り込まれた仕掛けに思いを巡らせるのも一つの楽しみですね。 にほんブログ村 にほんブログ村

第231回 中部人類学談話会

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今週末はまた名古屋です。今月3回目… 今回は渡邉欣雄先生と平井芽亜里さんの沖縄コンビ。殊に渡邉先生のご発表は毎回いろんな刺激をいただけるので、とても楽しみです。 今週は昨日もモンゴル研究の大家、小長谷有紀先生、西南アジアの松井健先生ともお話ができ、人類学の泰斗との縁深い一週間。まだまだ遠い方々だということが身に沁みます。 にほんブログ村 にほんブログ村

梅雨明け。「なんばグランド花月」に行く

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せっかく関西にいるのに、お笑いを見ないのも…と思い続けていたものの、つい足が向かず。ようやく行けました。休日ということもあり、とても混んでいて、当日券を当て込んでいたら結局立ち見。さすがに2時間立ちっぱなしでなかなか疲れましたが、来てみてよかった。 前半の漫才もなかなかだし、お目当ての新喜劇もやはり面白い。さすがになんばまで来るのは大変だけど、四条の花月ならチョイチョイ行けそうです。 ところで、本日関西も梅雨明け。気温も35度近くまで上がったようです。数日前の台風以来、ほとんど雲の中にいた比叡山でしたが、今日は晴天に深い緑がくっきりと浮かび上がっていました。日照不足が心配されていた田んぼにも強烈な日差しが注いでいました。 にほんブログ村 にほんブログ村

安保法案に反対する学者の会

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http://anti-security-related-bill.jp/ 先週一週間、安保法案の決議をめぐるどたばた劇を見ていて、少々腹が立った。その直後の国立競技場云々の議論までの一連の流れがあまりにあざとい。裏側に「のどもと過ぎ」るまで何とかやり過ごそう、とりあえず一つは言うこと聞いてやるか、というのが見え見えで、政策云々以前にこういうやり方が気に入らない。 一応、この会には署名しました。名前も出していい、ということにしたので、そのうちリストに名前が出るやもしれません。でも、法案自体は僕にはよく分かりません。にも関わらず、署名をしたのは、現在の与野党双方ともに選挙に通るためにどうするか、という基準以上の理想や理念が見えないことに対する憤りの表現、ということです。 TwitterやFacebookもこの話題で持ちきりで、この話題、少し乗り遅れていたものの、おかげでだいぶ追いついてきました。中にはよく調べている人がいますね。たとえば、この下のツイート。 テロ特措法の少し後に民主党政権になったわけですが、直後の選挙も自民党大勝だったんですね。この辺りの法案以外に他に何があったのやら覚えていませんが、確かに「世論チョロい」と思われても仕方なし。しかし、それでも、それを計算した上であのあざといやり方なら、なお腹立たしい。憲法改正の議論から正々堂々やらんかい、というところです。

南出和余2015『「子ども域」の人類学 バングラデシュ農村社会の子どもたち』昭和堂

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亀井伸孝先生の『森の小さな<ハンター>たち 狩猟採集民の子どもの民族誌』に続く「子ども」の民族誌。以前、学会でご発表をお伺いして、非常に興味のある研究だったのですが、なぜか購入するのが遅くなってしまいました。 目次は以下の通りです。人類学の研究では、通時的研究(時間軸に焦点を当てた)と共時的研究(同時代の空間や観念に焦点を当てた)というわけ方をします。多くの場合、通時的研究は、ある社会を歴史的に見ることで、その社会の基層文化を明らかにしようとする考え方ですが、人間のある「期間」の捉え方、これを通時的と理解するのは少々乱暴ですが、 「子ども」という期間と、その期間に起こる変容 を「域」という南出さんの独自の視点で捉えているのがこの本の特徴ではないでしょうか。 この本のキーワード、「子ども域」は次のように捉えられています。 「子どもたちは日常生活のなかで、成長にともなって社会での位置や役割を次第に確立し、ずらしていく。それらは、 彼らが他者との間で展開する相互行為を通じて築かれていくものであるが、そのプロセス自体は行為者である子どもによるもの である。この交渉を経て、子どもは「子ども文化」を築きながら同時に社会の成員として社会に「参加」していく。ある部分はおとなになるにつれて失われ、ある部分は個人のなかに内在化される。この交渉領域では、子どもたちは「子ども」という社会的制約にありながらも自由な実践を展開する。制約は、子どもがいずれ子どもでなくなるという現実に支えられた一過性のもので、 個にとっては常に可変的で不連続 である。また、社会が「子ども」をどう認識しているかによっても大きく異なる。「子ども域」とは、この領域を指すと同時に、その実態を捉えるための概念である」(23、強調は清水) この定義の部分だけを読んでいると、「子ども」の 期間 に起こる「子ども」の主体的な変容とそのプロセスと読めて、どちらかというと、変容に重きが置かれるのですが、終章では、次のように述べられます。 「バングラディッシュの子どもたちに見られる 「子ども域」という領域は、いわば、ねじの「あそび(ゆとり)」のようなもの ではないだろうか。ぶらぶら(ぐらぐら)していても「ブジナイ(わからない)から仕方がない」として許される。子どもたちには「ねじを締めない」という...

宗教学会学術大会(20150904-06@創価大学)

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http://jpars.org/annual_conference/ 宗教学会に入会して5年くらいが経つのに、実は学会には一度も参加したことがない。毎年学会費を払いながら、これはいかんな、とか、もったいないな、と思いつつ…毎年宗教学会が行われるのが9月初頭ということで、大体調査に行っていたりするので、どうしてもいつも時間があわない。 それでも、今年は多少なり時間が取れそうで、初めて伺ってみることにした。一応毎年4冊送られてくる学会誌は軽く目を通しているつもりだが、やっぱり学会でどっぷり話を聞いてみるのも大切だ。 多分、一緒に研究をしている何人かも参加されるのだろうから、知人の研究発表はもとより、イスラームの研究はなかなか聞く機会も少ないので、たっぷり勉強しに行こうと思います。 にほんブログ村 にほんブログ村