投稿

電池切れ

イメージ
アミノゥの結婚式の話の続きを書きたいのだが、どうも筆が進まない。一日の幸せと言えば、何とか夕方まで調査らしいことをしてからのお疲れビールの最初の一口だけ。 なんかずいぶん不幸な書き出しなのだが、ここのところ、かなり疲労がたまっている。過ごしやすかった12月、1月を走り抜け、まだ涼しいだろう、と踏んでいた2月… しかし、連日の40度オーバー。もう夕方4時半で、最高潮に暑い時間は過ぎたが、まだ41度。どれだけ水を飲んでも30分もすればのどはカラカラ。ビールが入るはずである。そして、酒を飲むからさらに疲れるはずである。 今日はそんなわけでグダグダ。でもちゃんと昨日までは調査しておりました。 生存確認的に書いてみた。 にほんブログ村

人生儀礼3-1

イメージ
論文やら原稿やら、先週は少し調査の手を休めてワサワサした事務作業にいそしんだ。ちょうど調査も中間で、少し気分転換もできたところで、調査助手のアミノゥとタルに連絡を取った。 アミノゥは私とほぼ同年代。たまに会うと、割とリアルに結婚の話になる。アミノゥは1月末ころの結婚と聞いていた。日程も大体分かっていたが、「そろそろ…」と思って、話を聞くと、 「そうなんだよ…。2月4日になったんだけど、俺だけ村に行かないといけなくなったんだよ。本当は、嫁さんだけ村から来るはずだったんだけど…」 とのこと。カネがなく、少々困った様子のアミノゥと共に育ったタルを、励ましと調査の打ち合わせのため、アミノゥの好きなムトン焼き肉の店に誘う。アミノゥと先に店に着くと、早速結婚式の話を聞く。この日は2月2日夕方。アミノゥは翌日3日の朝に生家のあるジボDjiboに向かうという。ワガドゥグからのバスは1日1本しかない(タクシーブルスは何本かあるが…年も年なので…)。 イスラームの慣習通り、木曜日に式が行われ、彼自身は日曜日に新婦を連れてワガドゥグに来る予定。ワガドゥグでも簡単な2次会はやる、とのことだが… 「よし!俺も行っていいか?」 「今回はカネがないから、cacaoだけでも来てくれると嬉しいよ。」 ということなので、 「じゃあ、タルの分の交通費も俺が半分持つよ」 「それはもっと嬉しい。奴は一緒に育ったやつだから、一緒に来てくれたら楽しくなると思う」 話は決まった。翌日、3人でワガドゥグを発つことにして、タルが朝6時に私を迎えに来ることになった。バス停の待ち合わせは7時。この日は1本ずつビールを飲み、早速準備にかかる。 翌日。少々やり残した仕事があったので、朝4時半に起き、仕事を済ませる。5時50分、念の為迎えにくるはずのタルに電話をすると、「今起きた。すぐ行くから待っててくれ」… 6時15分アミノゥから電話。「タルの奴、電話に出ないんだよ。cacao、電話したか?」 6時30分再びタルに電話。ツーっ ツーっ ツーっ… 6時50分再びタルに電話。「もう目の前。」 6時55分 タル到着… 7時半 何とかチケットを取り、出発。 どうなる事やら… つづく。 にほんブログ村

Iまやさんとアチェケ

イメージ
大学院の大先輩Iまやさん(♂)がいらっしゃって約1週間。 京都に用事があるたびにお世話になっている先輩。おそらく唯一接待可能なブルキナにいらしていただいたので、「満腹ツアー」と称してワガドゥグB級グルメツアーを敢行した。足がないのが痛いが、近辺の大概のレストラン、飯屋は制覇した。 Iまやさんのお気に入りはアチェケ。私もワガドゥグにいて、放っておくと週に2,3回は食べてしまう。行きつけの屋台が3,4軒ではすまない。一昨日、15分ほど歩いて、食べに行ったのは、カメルーン人のマダムの屋台。「死ぬ前に思い出してもおかしくない」とは、ラーメン大好きのIまやさん談。 そんなにお気に入りなら、ということで、事務所すぐそばでアチェケを売る姉妹のところへ。まずまず美味しいのと、近いのもあり、最近頻繁に利用している。それが上の写真。結構な量でしたが、二人で完食。 そして、今日Iまやさんは調査へ。また2週間後に「満腹ツアー」再開です。

少し手を休めて…

寒いくらいの明け方。暑さの嫌いな私にとっては、最高の季節だ。 正月あたりは、シュラフにくるまって寝ていたが、ここのところ、微妙に気温が上がってきたように思う。昨日は日中雲が厚く、叶わぬ願いながら、ほんの少しでも雨が降らんかなーとかぼやいてみた。 今週は、日曜日の小旅行以来、調査の手を休めている。来るべきものが来た、というか、なんのことはない、以前提出した論文やら他の原稿やらがまとめて返ってきて、なにやら他にもいろいろ手続きをしなければならない。幸いなことに、他の人類学を研究する院生が山奥やら砂漠やら行っているのに、私はいつでもネットのつながる首都にいるので、大概のことはその場で用が済んでしまう。来週からはまた知人が2人来るので、一気にまとめて用事をすませることにした。 今日あたりで今回の調査も半分。毎回毎回、時間がたつのが早くなる。「アフリカ=のんびり」と言うのは、全くのウソで、次第に知人が増えれば、やることも増えてくるもんだ。その一瞬一瞬で時間の捉え方なんぞ、大きく変わってくる。たまに村に行って、地平線に囲まれて見るからあの景色に感じ入るのであって、やっぱり、こうしてPCを叩いている限りは、間違いなく日本の世界と深く結びついている。調査の手は休めてみるが、生活やつながりの手を休めるのはなかなか難しい… ということはどういうことなのかを考えている。

王様の話

イメージ
約900年の歴史を持つと思われるモシ王国。ワガドゥグを中心とする中部モシ王国以外に、南部にテンコドゴTenkodogo、北にワイグヤOuahigouyaを王都とする3つの王国に分裂している。 当然のことながら、それぞれの王国には、いわれがある。このあたりは川田順造さんの本をご参照になることをお勧めするのみにして… ずっと「若者文化」の研究であることを標榜してきたが、ワガドゥグという都市を理解しようと思ったときに、どうしてもここが王都であることを抜きにしては語れない。都市のある部分が切り取られ、そこに住む住民が移動させられ、ある通りが「ストリート」と呼べる道になるためには、なんらかの理由があるのだ。その理由が何につけ、移動すべき人々が(それが偶然であったり、権力や権威が直接的な理由でないにせよ)選ばれるわけがなんらか、そのあたりと関係があるのではないか、と勘繰りたくなる。つまり、「ストリート・チルドレン」と呼ばれる子どもたちが「そこ」にいるには、遠くに王様の姿が見え隠れしたりもする。これを論証するには、ずいぶん長く話さなければならないのだが… 葬式の日、同じ足でさらに南のジバGuibaに向かった。ヤルセの長老に聞いた村である。 ワガドゥグにボゴドゴBogodogoという地域がある。ここは、モシ王、モロ・ナーバMogho Naabaがヤルセの人々に与えた土地だった。ヤルセはこの地域にイスラームを持ちこんだ人々で、モシ王は歴代にわたり、この土地のヤルセに自分の息子たち(王子)のイスラームのイニシエーションを委託していた。息子たちは、イニシエーションが終わると、ジバのシェフになる。つまり、人々を治めるシュミレーションを行うわけだ。 数代前にこの慣習は途切れ、現在の王子はフランスに留学し、ジバでのシュミレーションを体験していない。この日お会いしたのは、代理シェフで、この代理シェフですら、3代目とのこと。「伝統」に従い、コラの実を渡し、謁見をお願いする。 質問は二つで、「なぜこの地が王の統治の練習の場として選択されたのか」、もう一つは「いつころまで、この習慣が続いていたのか、もしくは、現在途絶えているとしたら、今後習慣が復活する可能性があるのか」ということだった。もちろん、イスラームについて、ヤルセについて、さらに、ここで行われるイニシエーションについて...

人生儀礼2

イメージ
引き続き… アブドゥルの友人の「マソン(大工)」のお父様が亡くなった。もう3週間くらい前だろうか。とても悲しいことのはずなのだが、大往生の末のことゆえ、彼にもさほど悲痛感はない。なにせ、120数歳まで生きた、ということである。しかも、今から40年ほど前、一度「亡くなって」墓に埋葬されてから甦った、という曰くつき。 先々週からアブドゥルに「文化を学ぶお前は行かねばいかんよ」と言われて葬式に参加するよう誘われていた。それが今日。一昨日よりこちらにいらしている先輩もお誘いし、朝8時半にワガドゥグを出発。スーラというワガドゥグから南に60kmほどの村に車を飛ばす。 着くなりこんな雰囲気。類稀な長寿を全うした故人を送りだすべく、多くの人が集まり、30数人という子孫とその連れ合いがこの大祭を取り仕切る。マソンもその一人。右に左に走り回る。 右側の盛り土が墓所、左側が故人のお父上の墓所。「力が宿っている」ということで、復活の墓所は撮影禁止。この間、誰もそこを避けるように歩いていた、ように見えた。 故人の生活した家の前では、10名ほどの楽士がさまざまな楽器をかき鳴らしていた。油断していて、楽器の名前を聞けなかったが、水を張ったひょうたんに少し小さなひょうたんを浮かべ、ひょうたんの匙で叩く楽器があった。トーキングドラムが4台、角笛が1つ、この奇妙な楽器は男性が叩いたり、女性が叩いたり… そして、その周りには、100人ほどいようかという人の群れ。踊る、歌う… 私たちはその後、マソンの弟の家、と言われた家に招かれ、食事をする。チャパロ(ミレットビール)、ゾムコム(ミレットと生姜のジュース)、さらにリグラをいただく。さらに故人宅のそばの木陰でビールが供され、一番穏やかな季節ではあるが、ブルキナファソの灼熱の太陽に照らされて、適当に酔い、腹もはちきれんばかり、眠気すら襲ってきた。 120年と言う、気の遠くなるような時間を生きた故人。奇跡の復活を遂げ、晩年は、人の手に触れればその人の人生が分かる、と言われた伝説を持つ。どんな生き方をし、どんな境地にいたのだろうか。120歳まで生きることができなさそうな我々にはなかなか想像もできない。ただ、満腹と酔いで朦朧とするなか、肌をなでる乾いた風を感じると、目の前の風景に遠く先のことも昔のことも、意外にどうでもよか...

人生儀礼1

イメージ
昨日は結婚式、今日は葬儀に参加。二日で二つの人生儀礼に立ち会った。 まずは結婚式。知人の娘さんの結婚式だった。これまでも数回の結婚式に参加しているが、だいたい「市役所(ブルキナファソの結婚宣誓は市役所で行われる)→教会→家」というルートをたどるが、今回は初めて貸し会場で行われた。 知人は憲兵隊で、ちょっと裕福なレベルの生活をしている、と見えていた。貸家も何軒かあったり、お子さんも大学まで行っている。上流階級に属する人だろう。で… なんと、会場は500人ほどが入る場所で、我々が陣取った後方の座席からは、雛段の人の顔が全く判別不能… そして、なんと、ブルキナファソのトップ歌手(だろうと思う…)が4人も招かれて、1曲ずつ興じる…たぶん日本だと、細川たかしと小林幸子と槇原敬之と後一人思い浮かばないが、大体そんな感じだ。ダイジェスト版紅白みたい… 料理も普通は、リ・グラ(Riz Gras油飯)、サラダ、鶏肉、フライドポテトあたりと決まっているが、今回はこれにさらに伝統料理数品が加わる。 聞けば、旦那さんの方はよくわからなかった(新婦側の席だったため)が、お嬢さんの方は銀行勤めだとか。この辺の「格」は相当こだわるはずだし、これだけの会場を借りて歌手を呼び…とできる家柄だとすると、まあ、中途半端なところにはいまい。 いろんな結婚式があっていいわけだけど、妙に少し前のティピカルな日本の結婚式を見るようで、複雑な気分になった。出入り自由で、隣近所の人が手伝って、わけのわからない兄ちゃんがタイコを叩きまくって…という手作り感のある結婚式が妙に遠くに行ってしまったような感覚に襲われた。 まあ、それでも、エリートのお二人の結婚。どんな結婚式であれ、この国を背負う跡取りをたくさん作って、幸せな結婚生活を送られることを祈って…