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【フィールドワーク2025‐2026】ブルキナファソに到着:初動~Association pour la Promotion des Arts訪問

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Association pour la Promotion des Arts 調査3日目。ここまで大体予定通りにスケジュールはこなせており、とりあえず挨拶は大体終わり。あと1人、今回の調査の最大のミッションである、UJKZ(ジョセフ・キ-ゼルボ大学)のシリル・コネ先生との面会を明日に控えているが、後は昨日、今日で仕込んだ流れで進める。そして、すでにデータになりそうな話題もちらほらと、期待以上のデータがついてきている。教科書通りに言えば、ラポールが出来上がっている相手に会い続けているので、挨拶を済ませると、スムーズに話が進む。それぞれの新たな動きから、聞き取りの項目も調整し、初動の期間が終わる。 今回は久しぶりにUJKZの社会学者、アブドゥライ・ウェドラオゴ先生とも面会。例年、この時期はお連れ合いのいるスイスで過ごされることが多いが、今年はお連れ合いさんがブルキナで過ごす、とのことで、こちらでゆっくりされており、ずいぶん話し込んだ(深い話になるほどにフランス語の拙さが…)。 ともあれ、ぜひお連れしたいと言われていた、ウェドラオゴ先生が始めたAPA(Association pour la Promotion des Arts)を訪問した。2020年に先生ご自身が購入した敷地は、ディゲットを活用してブッシュ(この地域的には原生林)となり、中心には一本の道がアトリエに向かって通り、アカシアの木にはアーティストの作品が何枚も掲げられている。 敷地内に掲げられる作品。「乾季」だからできる展示 作品を鑑賞していると、敷地内で活動しているメンバーたちに次々と声をかけられる。早速作品の説明を聞き、植物を絵に盛り込んでいたり、ここで取れる植物を使って紙を作っていたり、なかなかに活発に活動している。 作品 アトリエで少し話を聞き、道を挟んで向かい側にあるもう一つの敷地は、ほとんどを畑が占め、整然と野菜畑が広がっている。生徒たちと一緒に取り組んだものなのだそうだ。なかなかに厳しい地域ではあるが、人が手をかけると整然として美しいものになる。 畑の説明をしてくれるウェドラオゴ先生 すでに何度も収穫がされている様子が見てとれ、子どもたちの食事に使われている。 この施設、10年近くに渡りテロが頻発し、住んでいたところに住めなくなった子供たち(家族がいる子もいる)が収容されている。名前の通り、「アー...

【フィールドワーク2025ー2026】ブルキナファソ渡航を前に

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  今回の旅のお供 キイチロウが用意してくれた「サンタさんのおやつ」 卒論の審査が終わり、年内にやらねばならないことはとりあえず一段落(しているはず)。クリスマスの明け方、キイチロウのプレゼントを仕掛け、キイチロウが用意してくれた「サンタさんのおやつ」をやっつけて荷造りをしています。読みかけの本といただいたのに読めていない本、後は読まねばならない本6冊を選び、とりあえずひと段落。 今回は、分担者となっている 科研費(25H00456、代表者:伊達聖伸) 関連の調査です。行先はブルキナファソ。調査の準備はあまりよくできておらず、何をどこまでできるかは、到着までに詰めてやっていきたいところ。兎にも角にも、今回のミッションは、来年招聘予定のジョセフ・キ-ゼルボ大学のシリル・コネ先生と打ち合わせをすること、そして、自分の本来研究でお世話になっているアブドゥライ・ウェドラオゴ先生に会い、意見交換をすることは決めました。その他、インフォーマント何人かにアポイントを取っているものの、1年半ぶりということもあり、安否確認や近況報告でかなり時間がとられてしますことでしょう。さてさて、今回はどんな収穫があるでしょうか。 2019年ころからテロが激化し、ブルキナファソもずいぶん遠い国になってしまいました。ツーリストのビザがなくなったのもあり、気軽に旅行…などということもできず、研究者では、とうとう私一人になってしまいました。とにかく、ブルキナファソの研究を切らさないように、研究者との関係を続けていくように、という最低限のミッションのために行っているような気がします。 また少しずつですが、現地の様子などもアップしていきたいと思います。

【映画】『カンタ!・ティモール』2011(監督:広田奈津子)、第3回「アフリカ・アジア現代講座」

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 12月19日(金)に開催された本年の 第3回目「現代アフリカ・アジア講座」 が開催されました。 今回は『Canta!Timor』の上映会を行いました。 熾烈な独立戦争を経て独立を勝ち取った東ティモール。インドネシア、そして、それを支援する西側諸国の援助の中、残虐な弾圧を受け、独立後も簡単にその傷は癒えるわけもない。しかし、東ティモールの人びとは、穏やかな笑顔をたたえながら、過去の罪を許しているようにすら見える。 この作品、当初は「1990年代の東ティモールの独立」に焦点が当たったものだと思っていたのだが、不意にその批判の刃は我われ日本に生まれ育った者にも向けられる。東ティモールは第二次世界大戦でも、ティモール島沿岸の海底油田をめぐって日本とアメリカが激しく戦った海域であり、もちろん、東ティモールにも大日本帝国による蛮行が及んでいる。長い独立の歴史を経て、彼らが言うのは、「もう我われで最後にしよう」ということ。こうした「許し」は、この映画を撮った広田監督のおおらかな人柄も強く影響していただろうが、人が争うことの、もしかすると唯一の解決策なのかもしれない。 この作品や、おおらかな広田監督の語りを聞き、思い出したのは、ブルキナファソのイマームをはじめとするムスリムたちの「tolérance(寛容さ)こそがイスラームの精神」という言葉だ。「赦し」、「許し」…宗教的な意味にせよ、世俗的な意味にせよ、人間が欲深い動物だからこそ尊いのかもしれないと思った。

【フィールドワーク】セネガル料理教室開催

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  チェブ・ギナールの出来上がり! セネガル渡航の際にもお世話になった、Keur Seigne Toubaの料理人、アリさんと温めていた「セネガル料理教室」、20名の参加者を得て無事に終了しました。 今回の企画は、Keur Serigne Toubaを会場として、大学生を中心とした参加者を募りました。埼玉開催にも関わらず、京都精華大学の学生5名が参加。その他、研究仲間の若林チヒロさんのゼミ生、東大や東京外大などが中心となっている MPJ のメンバーなど、様々な大学から参加していただきました。 調理の前に、アイスブレイクとして、セネガルの基本的な情報についての講義を30分ほど、そして、ブルキナファソ研究仲間である神代ちひろさんのイニシアティブで自己紹介、グループ分けをして、いざ調理開始。 アリさんの他、ムスタファさん、デンマさんなどがお手伝いをしてくれて学生たちとワイワイと調理に取り組みました。 ムスタファさんに料理を習う参加者たち 調理が一段落すると、アリさんが「寒いから…」と言って、牛すじのスープを出してくれる。コショウ少な目のとてもやさしいスープに参加者一同、最初の舌鼓。当初は、ファタヤなどを考えていたが、アリさんのアドリブの作戦成功といったところ。 アリさん(中央)の写真が全然なかった… 調理再開後、14:00ころにようやくチェブ・ギナールが完成。 チェブ・ギナール 誰からともなく手で食べ始める学生たち。むしろセネガル人たちがスプーンを使っていて、「反対みたい」と笑いながら、悪戦苦闘、ボロボロとコメ粒をこぼしながら、思ったよりもたっぷり食べていて、ほとんどの皿には、鶏の骨の山が残されていく。 食べ終わると、ボチボチという雰囲気が漂い、セネガル人たちも後は我われが…となりますが、学生たちが自主的に片づけを買ってでて、みんなでお片付け。学生たちは最後までセネガルの人たちと交流しながら作業していました。手前味噌ですが、精華の学生が一番体を動かしていました(0泊2日なのに!)。父ちゃんは誇らしかったですヨ! 学生たちが率先してお片付け 美味しかったです 普段男性たちが厨房に入るこの施設は、元飲食店でありながら、よく見るとかなりまずいところが見つかった。ガス代の鍋置きが割れていたり、ダクトがドロドロ、排水溝もねっとり油が溜まってほとんど詰まっている。あまり施設の...

卒業論文(2025年)

今年も卒業論文の提出締め切り日を迎えた。  今年は無事に全員が期限内に提出。昨年、一昨年とはまた違った雰囲気の中、とりあえずの形が整いました(と願いたい…ちょっと不安も…)。 今年の学生たちは、あまり研究室にもやってこず、メールでの添削が中心でした。まあ、比較的常識的な学生たちで、ほとんど提出遅れなどもなく、僕の方も時間をコントロールする、という面では助かりました。ですが、そこはやはりメール。難しい点もたくさんありました。例えば、指摘せねばならないところを落としていたり(メールのルールが徹底しきれずに指摘が累積していかなかった)、指摘の趣旨が伝わっていなかったり、このあたりがとても難しかった、というのがありました。何度も「研究室に来てくれればよいのに…」と思いました。このあたりが大きな反省点です。 ともあれ、間違いなくよく頑張ったし、学生たちはしっかり休んで次のステップに進むための英気を養ってほしいです。 こちらもとりあえずひと段落つきました。この後は、年末年始のブルキナファソ渡航の準備や若干滞り気味だった校務をこなしていきます。原稿も書かねばなりませんし。

1001夜目を迎えるにあたり

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2010年7月に始めたこのブログが1000エントリーに到達しました。実に現在2025年11月なので、15年4カ月(304か月、36歳~51歳)の達成です。そんなに長いことやってるんですね。改めて計算してみて驚きました。年間、60エントリー強、月に直すと5本ほど、大体週1ペースということになります。細く長く、という感じでしょうか。途中1年以上更新しなかったり、一日に複数本エントリーしているので、かなりムラもありました。 元々は書き癖をつけるために、できるだけ毎日キーボードを打つため、ということを考えて始めたこのブログ(今でも自信はないですが、当時の日本語は悲劇的でした…)。とにかく何でもかんでも書いていましたが、文章を早く正確に書く、ということを考え始めてから次第に読まれていることを意識するようにし(グダグダにならないように)、いくつかのテーマについて継続的に書く、文体のパターンを作る、といういくつかのルールを課しているうちに、何か定型化されて来ているようにも思います。内容として読みやすくなってきているのか、定型化されてつまらなくなっているのか…このあたりは?ですが、論文や本を書いていないときでも、何かしらメモをする場としては、やっていてよかったと思います。 さて、この下は完全な自己陶酔の記録ですので、万一このブログに迷い込んでこられた方はこの辺で。 このブログを書き続けたこの15年、どんなことがあったのでしょうか。 1. キイチロウが生まれ、もう10歳になる 別の媒体に写真を写してしまったので、なんだか中途半端なところから始まっていますが、一番上が京都に引っ越してきたころ(2019年-2020年)のキイチロウ。一番下が最新(2025年10月)。多分この頃の倍くらいの体重になっています。昨日、久しぶりに抱っこしてみたら、いろんなものが溢れていました。今度の2月で10歳。ハーフ成人を迎えます。基本的にひょうきんでニコニコ。最近ちょっとわがままになった気がするけど、大人の感情の襞を敏感に感じる繊細な感性も持っていたり。【アフリカ子ども学と子育て】というシリーズでキイチロウの成長をメモしていますが、改めて見直してみると、赤ん坊から子どもへ、そして、少年へとすくすくと育っているのがよくわかります。 2020年春 2022年ころ 2023年ころ まだパッツン前髪 2024年赤の...

ブルキナファソのビザ情報

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  2023年2月以降、ブルキナファソの観光ビザの発給が中止となった。2022年9月、激化する過激派によるテロ行為の最中に起きたトラオレ現大統領によりクーデタがおき、大きな混乱を呼び起こした中で取られた措置であった(2024年5月26日の選挙でさらに5年間の暫定大統領として選任)。また、2024年12月5日以降、大使館でのビザ受付ができなくなり、オンラインのみとなった。物理的にも治安的にも遠い国ではあったのだけど、制度としても少しさらに遠くなってしまったような気がする。 これまで旅行者ヴィザで入国していた(しかも、とある理由で5年間の特別ヴィザをいただいていた経緯もあり…)が、これを機にカンファレンス・ヴィザが我われに唯一残された手段となったのだが、ちょうどこうした措置が取られる直前からワガドゥグ大学の複数の先生方と交流を始めることができ、インビテーションレターを取ることが可能となった。何人かの先生に交代でインビテーションレターを書いてもらい、ヴィザ取得をしている。 ちなみに、ブルキナファソは2022年のクーデタ後、フランスとの関係が冷え切った。いろいろなことが言われているが、ブルキナファソの堪忍袋の緒が切れた、というところではないかとみている。エア・フランスは2023年8月7日に治安の悪化を理由にブルキナファソ政府に無断で運航を停止し、その後現在まで就航再開を許されていない。また、下のようにフランス国籍保有者はヴィザ自体が発行されないことになっているので、フランス経由での入国は現時点で不可能なので、注意が必要。 Alerte:  Si vous êtes de nationalité française, le visa est refusé. Le délai pour les autres nationalités est de 4 ou 25 jours non garantit et sans remboursement (Belgique, Suisse, Canada, Luxembourg etc.) オンラインヴィザの ウェブサイト には、上のように書かれている。つまり、「あなたがフランス国籍であれば、ヴィザ発行は拒否されます。他の国籍の方は、有料かつ返金不可の条件で 4日~25日の期間で発行されます」。 【カンファレンス・ヴィザ...

秋深まる

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だいぶ寒くなってきました(とはいえ、昨日あたりはまだ20度近くあり、気持ちのよい一日でしたが)。 温暖化の影響で鞍馬の紅葉の見ごろは12月の初旬となりましたが、私の住む市街地は、目に鮮やかな紅葉が進んできています。冬の透き通る青い空と赤、黄色、緑が交じり合う木々を目にすると、ついつい写真に収めたくなります。 家族で寺社仏閣や繁華街というのは、あまりに観光客が多くて「う~ん」な感じですが、こういう絵があるところは、京都に住んでよかったと思えるところです。風景に心癒されるようなところはなかなかありません。 写真は下の方が古くて、だんだん新しくなります。  

【日本のアフリカレストラン】番外編② Siddique/八潮スタン

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インスタ でも書きましたが「 もはや東京にホテルをとることを諦め、初手から埼玉ねらい。」というわけで、1日-2日と「埼玉出張」。今回のお宿は八潮(埼玉も宿が取りにくくなりました…)。日中は東松山のスリーデーマーチを視察して、宿に戻り(埼玉も横移動が難しい)、「 在日セネガル人向け日本語教室 」が終わるとすでに20時。時間も時間でそんなに遠くにはいきたくないな…と思いつつ、スパイシーなもん→アフリカン以外→ビリヤニ、と思考がおよび、知恵袋に尋ねてみる。3軒ほど紹介してもらうが、いずれも徒歩30分ほど…食べログを見ると、どこもおいしそうで、口の中は益々ビリヤニ… さらに検索していると、あるではないですか!Siddique!おっ、しかもあの「八潮スタン」ここやったか!さらに、ホテルから徒歩5分と至近。というわけで、レッツゴー。 Google先生のおっしゃる通り、5分ほどで到着。高速道路と工業団地の暗がりの道の中、住宅地に入るころに見えてくる煌煌とした明かり。「ハラール屋台村 八潮スタン」。怪しい(笑)。 中をのぞくと、中東系のグループがにぎやかに食事をしている。オープンキッチンでは、何かカレーのようなものを調理中。突然異国感満載。 食券を購入して着席。店内を見てみると、ハラール中華、ハラール日本食、マレーシアレストラン、チャレンジキッチン(ハラールのハンバーガーなど)と、本当にムスリム向けの屋台村になっている。この時間は営業していないようだったが、数人のスタッフが忙しそうに動き回っている。 そして、やってきました。マトンビリヤニ。ビリヤニ、とても好きなのだけど、未だ経験値不足で、どの辺が最高地点なのかがわからない。今のところの認識では、食感はふんわり+パラパラで、スパイスはむしろ味のムラがあって、自分で調整しながらができる仕上がりで、というくらい。スパイスの加減はよくわからない。 という、薄い知識をもとに口に運ぶ。若干乾いている感じがするが、自分の好みでは、これくらいでよい。少しおこげ気味の部分は、セネガル料理ともどこかで通じ、これも悪くない(バスマティのおこげ、初めて口にしましたが、軽くてパリッとして、アクセントとしてよいのではないかと思いました)。おそらく、日本人向けにマイルドには作られていないことが分かるのが、時々くるピリッとした辛み。香りも今まで食べたビリヤニより...

【出版】山田肖子・溝辺泰雄(編)2025『【第2版】ガーナを知るための57章』明石書店

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  2024年後半のある日。長らくお世話になっている山田先生からメールが来ました。メールの内容は、ガーナの食文化についての執筆依頼。もちろん、山田先生は私がガーナのお隣を専門としていることはよくご存知で、私はもちろん「ガーナには何度か行ったことはありますが、私よりはるかによくご存知の方がいらっしゃるはず…」とお返ししたのですが、「清水さんの文体がいいからぜひとも」とお返事をいただき、そこまで言っていただけるなら!ということで、お受けすることに。 ところが、これからガーナに行くにも、海外調査に行くような研究費は使い切る目途が立っていたため、日本国内で調査をすることにした。その日から、ガーナレストランを探し始めた…というストーリーではなく、その少し前に知己を得た、 比呂啓さん のことや、比呂さんが自費で出された本のことが頭にあって、何となくガーナ料理を実地で勉強する目途は立っていた、というのもお受けしようと思った背景にありました。 ただ、ガーナに行ったのは2014年が最後。しかも国際学会で食べ歩きができたわけでもないし、家庭料理など(今でも)全くわからない。しかし、お引き受けした以上はガーナ料理を勉強せねば、ということで突貫工事を始めたわけです。何軒かのレストランを訪れた中で、 Amaging Grace に照準を定め、集中的に5回ほど伺いました。お店の方は話しかければ、話せるが、向こうから話かけてくれるわけではないので、少しずつ馴らしていくように、3回目にこちらの顔を見て、お店の人がにっこりしたタイミングでちょっと話をしてみる。4回目に30分くらいおしゃべりをして、ようやく聞き取りができるようになる。ある程度原稿が出来上がり、5回目の訪問で足りない情報を聞き取り、おなかも頭もいっぱいで書き上げる…現地で少し食べ歩きたかったし、もう少し聞き取りもしたかった… 書いた後でなんですが、この後、ガーナに行く機会、何度あるかしら。行ったらぜひに食べ歩きをしたいものです。 目次、執筆者等の情報は以下の明石書店さんのウェブサイトからどうぞ。 https://www.akashi.co.jp/book/b670136.html

【子ども学と子育て】Vol.34 丹波の黒豆を狩る

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なんか違和感ない… なんだかあっという間に秋も深まり、長袖を出したり、なんだかんだと季節が変わってきました。大学の方はと言えば、入試やら説明会やらオープンキャンパスやらと、こちらもあわただしく、10月は3つもゲストスピーカーにお呼ばれしていることもあり、さらにツメツメ。 何とかいくつかの案件を乗り越え、ようやく完全フリーの休日。その少し前に、 春に行ったタケノコ狩り の話になり、「またああいうの(畑作業)やりたい」というので、早速検索。栗拾いや芋ほりがたくさん出てくるのだけど、そもそもうちの家族はみんなで栗もサツマイモもあまり食べない(私は好きなのだけど…)。なかなか難しいな…と思っていると、枝豆狩りの体験会を見つけ、これなら…と思い応募。「 丹波ふるさと村 」という団体が実施する企画だが、一人一株で700円、となかなかにリーズナブル。 自宅から車で2時間。若干遅刻したものの、スタッフの皆さんには笑顔で迎えていただく。すでに5-6組の家族連れにカップルが畑で収穫を行っている。到着早々に畑に案内していただいて、鞘に斑点がでているのが甘いなど教えていただき、早速収穫。 やっぱり違和感ない。農家のおっちゃんっぽい ふかふかの土に根を張った大豆、「幹」の根本は、まるで「木」。直径2-3㎝でなかなかに太く、しっかりとしている。貴一朗にやらせてみると、はさみがなかなか入っていかない。最後の仕上げを僕がやってなんとか3本収穫。 その後は、豆を外す作業。1株から1㎏前後獲れるという触れ込みで、「ほんとかいな?!」と思っていたけど、なかなかの大量。 ブリブリの枝豆 実もふっくらしてて、大きな豆が入っていることがよくわかる。豆を外していると、カエルが出てきたり、かれこれ30分ほどかけて3袋分。このレベルの枝豆が1㎏700円…大変お得かと。  畑からの帰りに道の駅でお野菜でも…と思っていたが、道の駅は逆方向。路上で大きな白菜を見つけ、譲っていただこうと車を止め、値段を尋ねると「なにか買ってくれたらただでよい」とのこと。しかし、大量の枝豆があるので、豆は…と言っていると、端にラッカセイが置いてある。これもなかなかに立派なラッカセイ。売り物であることを確認すると、一皿譲っていただく。袋に詰めてもらっている間に、アフリカでは獲れたてを生で食べる、ということを言うと目を丸くして驚かれる。...

「ワーク・ライフ・バランス」を調節する

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今年度、貴一朗が4年生(高学年)になり、連れ合いの職場が変わり、遠くなったこともあり、帰宅時間が少し遅くなった。特に連れ合いの帰りが18時となったことで、貴一朗の夕飯の時間を調整しなければならなくなったのだけど、いよいよ食べ盛りを迎えつつある少年をあまり待たせて不良少年になってもよくないということで、若干調整のききやすい僕が調整することにした。 これまでは、夕方18時-19時ころまで研究室にいて、それからジムに行ったりして帰ってきていたが、4月以降、ほとんどこのパターンが出来なくなっていた。しかし、ここ何年が現職で勤める中、週末がかなりつぶれてしまうことを考えると、やはりジムに行くくらいしか運動継続は難しい。もちろん、できる限り自転車通勤をしているので、それなりの代謝はあるのだけど、全盛期のそれには比べ物にならない量しか食べなくなったものの、「我が胃衰えず」で、まだまだ健啖の類だ。なので、ジムにいく時間は何とか確保したい… 限られた1日24時間という制限の中、生活を構成する要素をパズルのように当てはめてみる。日中は授業もあり、どうしても自分ではコントロールできない。その一方で、研究に充てる時間は朝だろうが深夜だろうがどうにでもなる。となると、コントロールできるのはジムの時間。ただ、9月まではジムに行けるのが平日土曜夕方のみ。年度明け、前半で試みてみたが、ジムに行けるのはせいぜい土曜日夕方のみ。平日夕飯を作って食べてから、もう一度外出する、というのがどうしても難しかった。そんなわけで、ジムとの契約を変え、10月から出勤前にジムに行く、というパターンに変えてみた。朝活をして爽やかに仕事に向かう、目指せしごデキおじさん。 今のところ… 卒論やらゲスト講師の準備やら原稿やら…今のところ、結局あまり行けておらず、現状維持状態なのだけど、隙間時間は午前中の方が取りやすい、ということは分かったので、あとは自分次第。 最近ちょっと流行ったので、「ワーク・ライフ・バランス」とかつけてみたけど、あんまり関係なかった…

秋を探す

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深泥池と中秋の名月 2か月遅れくらいでようやく夏休み分のことをメモしました。気が付けば、秋ですね。秋になれば大学は来年度のことでバタバタとします。予定管理ができておらず、スケジュールが火の車状態な上、夏の疲れを回復させようとしているのか、気候がよくなり、布団にいる時間が伸びて益々スケジュールがきつくなる、という毎年のルーティーン。 すっかり秋の色の空と比叡山(定点観測) 自転車で動き回っていると、軽くなった空気や、ふとした時のひんやりした風、柔らかくなった日差し、すっかり聞かなくなった蝉の声…季節の変化を敏感に感じ取れます。忙しくなるとこんなことに感激している暇もないので、少しは意識してみようと思っています。 ほとんど通勤途中のものですが、秋っぽい写真を集めました。 ほんの少し色づく東大路の銀杏並木   キャンパス内の金木犀

セネガル・プログラム2025 ⑤ とりあえずの区切りとして

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大西洋に日が沈む 2022年、コロナ禍が収束に向かったころから始まったこのプログラム。今年で4回目となった。4年間合わせてもせいぜい20名程度ですが、アフリカに行ったことがないばかりか、初めて海外に行くという学生を連れてユーさんとセネガルを歩いてきた。 セネガルの人びとの溢れんばかりのホスピタリティ、乾燥地特有の軽い空気感、初めて出会う人たちと囲む料理、熱気にあふれるマルシェ、人々のカラフルな着衣…様々な風景を見せることができたのではないかと自負している。セネガル渡航を通して変わった学生も、変わらなかった学生もいて、20人程度とは言え、様々な反応があり、その一つ一つが私の胸には色あせることなく残っている。 実は、所属先のアフリカのプログラムは次々となくなってきている。私が赴任した際の、アフリカの熱はすっかり冷めてしまったようだ。学部の再編に伴い、3か月の留学(海外長期フィールドワーク)も今年度で終わり、何やらこのプログラムも縮小、ないし廃止のような話もでている。それなりの熱量をもって、毎年2-3か月の準備を重ねてプログラムを練り、安全面でも相当の配慮をして、学生がプログラムに集中しつつ、リラックスした状態でアフリカに接することができる機会を作る努力を重ねてきた。こんな使い方でよいのかわからないが、こんな話が出てくること自体が、「遺憾」である。ただ、どこかでこの経験やらが続いていけばよくて、私の所属先のことは、まあ大したことではない。一つの大学のアフリカ・プログラムがなくなる、というだけの問題である。 しかし、改めて、学生をアフリカに連れていく、ということの意味を考えさせられる。はっきり言って、相変わらず、体調を壊したり事故に遭うリスクは圧倒的に高い(犯罪リスクは小さいと思っているが)し、安全性に気を配るほど金もかかる。それでも、今だからこそアフリカに行っておくべきだ、ということは強く感じている。 僕らが大学生のころ、アフリカは「貧困」とイコールで結ばれていた。今や、我われはそんな一次方程式では理解しなくなったし、アフリカが世界に与える影響力は、実質的なできなくなった。僕らが「バックパッカー」という、冒険家まがいのことは、もしかすると、以前以上に「金持ちの道楽」になっていくかもしれない。そして、サハラ砂漠でも電波がある昨今、ラクダにまたがって砂漠を遊動する、という旅は...

セネガル・プログラム2025 ④ NGOの力、アーティストの力

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マングローブ林を解説するThomas Thomasと回るセネガル沿岸の旅2日目。かねてよりThomasが案内したいと言っていたNGOを訪問する。Nbourの街中の川のほとりにあるAGIREの事務所には、多くの小中学生がたむろしている。 Thomasに導かれて通された事務所の中は、多くの「女性」が忙しく立ち回り、私たちはサロンのテーブルにつかされた。しばらくすると、AGIREの活動についての説明が始められる。このNGOの活動として、マングローブ林の植林、蠣や水産加工品や食用として消費される貝類の養殖、そして、ことさらに強調されていたのは「リーダーシップの養成」、ということだった。 話はそれるが、僕自身、アフリカやNGO、国際開発ということに関わり始めたのは、以前、このブログでも何度か紹介してきた森本栄二さん(学生時代の恩師)やアジア学院の影響によるものだった。特にアジア学院は、創設以来、途上国のリーダーの育成を強く押し出し、コミュニティのすべての人が取り残さないという哲学を持ち、そのために、サーバントリーダーシップ(奉仕するリーダーシップ)という独特なリーダーシップ論を展開、実践してきた。アフリカのローカルNGOも数十の団体を見てきたが、大変素晴らしい活動をしているNGOであっても、その多くは、創設者によるワンマン経営であることが多く、創設者が倒れるとその団体そのものが存在を消す、というのが常であった。つまり、多くのローカルNGOは継続的なコミットメントが脆弱で、支援の瞬間風速で勝負している感じ。AGIREの代表のカリム氏がこうした考え方に共鳴する、ということは強く興味を惹く。  Nbourで活動を展開するNGO AGIRE 話をそこそこに、潮が満ちる前に見せたいものがある、とのことで、長靴をはき、事務所前の橋を渡ったところにある水辺へ。河口部には、囲いがしてあり、様々な設備が整然と並べられている。大西洋に面するセネガルはアフリカ有数の水産物の豊かな国。セネガル沿岸は寒流と暖流がぶつかる好漁場に面している。40年ほど前から蠣の養殖が始まり、沿岸部に広く養殖場が広がっている。人々の生活にも入り込んでおり、イエットのような蠣の加工物なども生産されている。今回AGIREに見せていただいたのは、このNGOが試みているいわば「実験圃場」のようなところだった。 蠣の養殖器...