『湯を沸かすほどの熱い愛』(中野量太監督、2016年)

『湯を沸かすほどの熱い愛』予告編Youtube、https://www.youtube.com/watch?v=CQsS-ekufiMより
2017年2月17日に調査地からの復路にANA劇場で視聴しました。時々CMを見ていたし、キャストがここ最近の安定感のある役者さんなので、割と期待。離陸から食事にかけての落ち着かない時間を映画に充てました。

【あらすじ】
舞台は、双葉(宮沢りえ)と安澄(杉咲花)が暮らす休業中の銭湯。銭湯の主は双葉の夫(オダギリジョー)だが、1年前に失踪した。双葉はパン屋で働きながら安澄とつつましやかに暮らす。しかし、ある日双葉を病魔が襲う。末期がんだった。双葉は残り少ない命数を前に、絶望の淵に追い込まれるが、双葉は自らの命を最後まで全うすることを誓う。

そのころ、安澄は学校でいじめにあっていた。双葉は、安澄にいじめる級友に毅然と立ち向かうよう諭す。そして、一浩を探し出し、一浩が少女(鮎子)と二人で生活していることを知る。鮎子の母はかつて関係のあった一浩に鮎子を預けて、別の男性の元に行ってしまったという。鮎子を引き取ることとした双葉と一浩。ようやく銭湯を再開したが、双葉は安澄と鮎子の二人の「娘」を連れて旅に出ることにする。安澄の産みの母に安澄を会わせるためだった。旅の途中、旅の青年拓海(松坂桃李、おそらく双葉の異父兄弟)に人生を諭し、安澄の実母君江(篠原ゆき子)の元に安澄を届ける。この旅が済むと、安澄自身を捨てた実母を訪ねることにするが、双葉はそこで力尽きる。ホスピスに入った双葉は次第に意識を失っていくが、その最後まで一浩や安澄の愛情を受けて過ごす。最後の時を迎え、双葉の葬儀は一浩や安澄と過ごした銭湯で、そして亡骸は銭湯で荼毘に付されるのだった。

【感想】
非常に評判のよい映画なようです。このキャスティングから見ると、大外れはしないはず。末期がんの宮沢りえの迫真の演技はずいぶん準備もしたのだろうし、杉咲花は18歳の演技とは思えない真に迫ったもの、彼女たちの演技を見るだけでも、この映画を見る価値がある。
様々な背景を背負った母娘の物語が、母親に捨てられた経験で束ねられ、捨てられたことへの怨念と母への憧憬、そして、愛情がこの物語の軸で、親子の繋がりの深さや複雑さが実によく描かれていた。ただ、4人分重ねられると少々しつこい感じは否めないのだけど…
しかし、「だが」と言わねばならない。それは、この作品のエンディングのシーンで、葬儀の後の双葉が荼毘に付されるシーンは蛇足で、僕はここで一気に白けてしまった。「湯を沸かすほど…」と題したのが、「このシーン」で、まったく美しさを失ってしまっているように見えてしまった。もしくは、このタイトルに引っ張られて、調子に乗ってつけたしてしまったように見えた。ひょうひょうとしたキャラクターを演じたオダギリジョーが釜に火をくべるのだが、このシーンでもそれまでのまま、ひょうひょうとした表情で、妻の亡骸を焼く、というあたり、監督さんは何を投げかけたかったのだろうか…


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