天草の「のさり」-4(「カクレキリシタン」文化)

天草、といえば、多くの人が天草四郎を思う浮かべるでしょう。キリシタンによる叛乱。どうも、この言い方では、当時弾圧されたキリスト教徒が、江戸幕府に対して反抗した叛乱、と捉えがちだが、実のところ、この地域を治めていた寺沢氏が飢饉の年に苛烈な年貢の取立てを行ったことに対する一揆とするのが正しいらしい。その後、江戸幕府が、キリシタンを禁止するために、これをキリシタンの叛乱と位置づけた、とか。

ともあれ、和風な風景の中の尖塔と十字架。見慣れないとなんとなくしっくりとこないが、文化の交わりを感じさせる貴重な「のさり」だ。現在は世界遺産登録を目指しているらしい。


文化的な交わり、といえば、このうえの写真などが最たるもので、このおおらかな交わりっぷりに思わず笑ってしまうのだけど、つまり、八百万の神の中に、御釈迦さまもキリストもいる、というやつです。ちなみに、この写真は本渡のとある仏具屋さんのものです。



崎津の教会(天主堂)は入り組んだ湾の奥にある集落にある教会。裏手はかなり峻険な丘になっていて、なかなかここまでたどり着くのは難儀なこと。下の説明を読めば、この教会ができたのは、1934年のこと。フランス人ハルプ神父のときに作られたものです。しかし、ここには1569年(永禄12年)にハルメイダ神父が降り立ち、キリスト教布教の拠点になったといわれます。



この場所に教会が建つ前には、吉田家という庄屋さんの家で、ここには勝海舟もとまったことがあるといわれます。歴史的に意義深いところです。


それで、神仏基混交はこんなところにも。この社は諏訪神社なのですが、前述のハルプ神父は、諏訪神社の境内内の家(左側)にお住まいだったとか。神社内に神父さん…う~ん、どんな信仰なんだろう…


たしかに、こうした独特な文化も「のさり」。大変興味深いのだけど、例えば島原や長崎とはどんな関係があるのだろう?天草独特とは言え、文化的にはこうした地域とも強く連動しているはずで、ここだけを切り取ってしまったら、「時代」のうねりや人びとの交流、そこで生まれる文化をいうものがよく分からなくなってしまうような気がする。世界遺産もいいのですが、このあたりにはしっかり気をつけていただきたいものです。

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