速水健朗2013『1995年』ちくま新書

正月を休みすぎて夜中に目が覚めた。年末に読もうと思っていて結局読めなかった本に手をかけたら止まらなくなった。

1995年、僕にとっては皆さんより2年ほど遅れて、(当時)暗鬱として行きたいとも思っていずに滑り止めで入った大学に通い始めた年だった。ちょうどサリン事件が起こった日など、今も手元にある中華鍋を買いに合羽橋に行っていて、危うく巻き込まれそうになった。あと、阪神淡路大震災に始まるボランティアの興隆は、自分自身の仕事につながっていたり、時代として自分の中に刻み込まれたさまざまなことがこの年から始まっているので、僕自身にとっても忘れられない年だ。

僕の時間感覚でもそうで、こんな話もこの前の講義の時に話をしたばかりだけど、すでに20年近い時間が流れたことが信じられないほど、1995年は2014年から差を感じない。速水氏も最後にそのことを言っていて、確かに、1995年から5年前のバブルの最後の年1990年とこの本が出た18年後の2013年では、いろんな意味で1995年は2013年に近い。鈴木謙介氏の言を借りて、「(1995年に)「何かの終わり」を見出す人と、…「何かの始まり」を見出す人とのふたつの人種がいる」(7)としている。世代によって見方が大きく分かれそうなところだけど、僕の感覚では、今、僕らの周りで起こっていることがこの年に始まったのだと思っている。そして、なんとなく、そこからマイナーチェンジはしているけど、大きな流れは全く変わっていないのだと感じている。

今、ぼんやり考えていることがあって、それは、日本のNGO史のようなものをいつかまとめてみたいな、ということ。どんなことかというと、何十年も前から欧米のNGOが巨大化・専門化し、所謂「市民」が政策決定や世論形成に大きく影響を与えているのに、日本のNGOが「ボランティア元年」と呼ばれた1995年以来、それほど大きな成長を遂げないのか、という、ここ数年間抱いている疑問からなのだけど、きっと1995年あたりから探れば何かが言えるのではないか、と思っている。速水氏も震災から始まる「ボランティア」、田中康夫の転身に絡めてこのことを少し述べているのだけど、なんか、そういう時代的なものの中で位置づけることもできるな、と。あと、前に知人たちと話している中ででてきた、旅のスタイルの変化とか(この詳細は企業秘密)絡めてみると、実に文化的な角度からいろんなことが見えてくる気がしてきた。

これ以上は内容に触れないけど、読みやすい文体、データも新書レベルにしては充実しているし、なかなかの好著かと。なにより、僕らの年代以上の人にとっては、「あー、あったね」を連発すること間違いなし。

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