帰国しました。時差ボケのため、妙な時間に起きて調査の反省です。

帰国しました。帰りの飛行機は両方とも満席で寝られたのかねられなかったのかわからないほどだったけど、イスタンブールで少し贅沢してホテルを取って仕事ができたので、明日は少し緩めに行けそう…とも言っていられず、非常勤の準備が大幅に遅れているので、明日も通常通りに仕事します。



まずは、セネガル前半。メインは「アフリカ子ども学」のワークショップin Dakar。ISMというセネガルのビジネススクール、協力隊のみなさん、そして、昨年のインドで開催された学会以来短期間で3度目となるセッションを組んだ亀井先生、阿毛香絵さん、そして亀井門下のお二人とともに、まずまず面白い企画ができた。自分の発表は時間が取りきれず、英語になってしまったのが反省点。せっかくみなさん頑張って準備されていたのに…でも、こうしてアフリカの研究をアフリカでシェアできたのは大きな収穫。来年、再来年と何度もやって行くことになるとよいと思った。

そして、サンルイ、トゥーバなどを廻り、8月最後の日はゴレ島に。2度目の訪問だったけど、道はほとんど覚えておらず、亀井門下のお二人とグルグルと島を散策。しかし暑かった…


9月2日から7日まではブルキナ滞在。朝から夕方まで仕事漬け。今更どこが見たい、と言うのはないし、今回は1週間にも満たない滞在で「これをやる」しかなかったので、まあ、こんなものか。やった仕事は、来年1月に予定している統計調査の打ち合わせ、バム県の市場調査の打ち合わせと次回以降の予定の周知、後は1日だけだったけど、コーラン学校への聞き取り。調査協力者にずいぶん助けてもらって、なんとか最低限は達成。統計調査の方は僕の連絡不足もあり、実働をお願いするNGOの担当者と会えなかったのが一番の痛手。でも責任者をお願いする人にはちゃんと何度もコンタクトをしたので、何とかなるかな、と思っている。そして、コーラン学校の調査がいまいちデータが集まらない。まだ1週間程度だけど、15校くらいか。次回も少し頑張ってやらねばならんところ。


そして、9月7日にダカールに戻り、上司の到着を待つ。ここまでで原稿の締め切りが2個、あとは2年ほど寝かしてしまった原稿1本を投稿。2本の締め切り原稿は落とされることはないと思うけど、最後のやつがやっぱり日本で仕上げて行けばよかった、と後悔しながら過ごす。7日からのダカールでは、上司の到着までの下準備。多少の資料収集と訪問先のアレンジ、宿泊先やら車の手配などをする。最初に泊まったViaViaというホテル。スタッフはとてもフレンドリーで楽しい滞在だったが、(おそらく)この間降り続いた雨のため、湿気が非常に多く、そのために南京虫が発生。数日間痒さにくるしんだ。


12日夜にボス到着。今回は出来るだけアポを少なく、ボスも初滞在となるセネガルを広域に見る、という目的の初期調査にあたるもの。僕の個人的興味としては、「アンドロポゴン」という草があるかどうか。これが今後のセネガルでの調査を意味づけるものだった。翌13日にはダカールを出発、カオラックでJICAのプロジェクトを見学(13日、14日)、その後、トゥーバを経由してサンルイへ(15日)。サンルイではガストン・バーガー大学を訪問(16日)、その後、セネガル川沿いの国道3号線を100㎞ほど東征した(16日)。調査最終日となる17日はダカールへの道すがら、ルーガという街からさらに東に50㎞ほど東征した。

結果的に初めて行くところでは発見も多く、セネガルの北半分の東半分についてはなんとなしに雰囲気がつかめたと思う。ボスもご満足いただけたのではないか、と思う。僕の関心事であった、「アンドロポゴン」についても調査の想像はついてきた。「ここでやりたい」と思う街も一つ、二つあり、2015年以降に向けて少しずつ詰めていきたいと思う。

全体的には、データが集まった、という調査ではなく、可能性を作りに行った(そして、宿題を騒音の少ないところで仕上げに行った…)という調査だった。色々な事件、事故が起こりやすい西アフリカ。こういう調査を少しずつやっておくことで、リスクヘッジをすることは大切なこと、でも実は、それだけでなくて、こういう調査をやることで、西アフリカという「地域」として理解が進むという利点もある。その意味でも非常に有意義な1か月間だった。

次回は年明け1月。それまで論文書きと調査の準備に明け暮れようかと思う。

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