『環境・災害と向き合う地域づくりを目指して』

木曜日、久しぶりに シンポジウムに参加した。


『環境・災害と向き合う地域づくりを目指して』


という題目で行われたもので、フィリピンの高校生ダンスグループを招き、フィリピンで活動するNGOの反町さん、フィリピンを主なフィールドとする人類学者、清水展さん、そして、今回の震災で活躍するNGOの関口さんと高校教師でありながら「愛知ボランティアセンター」の所長を務める久田さんの4名がプレゼンテーションを行った。

まあ、多少無理のある組み合わせなような印象を持っているのだが、フィリピンのピナトゥボ火山の時の災害や、災害と言えば戦争災害(日本軍の長期間にわたる駐留が行われたフィリピン)もあるのだな、ということは一つの発見だった。


ともあれ、そこは司会の亀井さんがうまくまとめていたし、それぞれ、久しぶりに聞くNGOのトーンや、今回の震災の生々しい活動体験はとても興味深いものだった。


中でも一番興味深かったのは、久田氏の数々の発言だった。阪神淡路大震災で親を失った子どものために、現在に至るまで毎週栄で募金を募り、その思いとおカネを届けているとか。もう17年になるという。そして、久田氏自身のその時の経験、つまり、荷物が届けられても仕分けがされていなかったために、現場が混乱に陥り、モノが被災者になかなか渡らなかった、という経験から、名古屋で仕分けまでやり、それを被災者に届ける、というシステムを採用した、という。たしか、テレビ番組にも取り上げられていた。


そして、久田氏は聴衆とステージに挑発するように言う。この週末、バス7台を編成して高校生のボランティアを現地に送り込む。だが、「大学(生)には期待していない」。


この久田氏に関しては、一方で感心し、一方で少々このラディカルな活動スタイルに疑問をもった。人類学会でも、多くの研究者が今回の震災について語り、非常に重く受け止めているのに、誰か現場に行ったのか?私も含め、今のところ、私はその存在を知らない。その意味で、いち早く現場に赴いて、その状況に基づいて活動を展開している久田氏のグループは、まず、現場を語る権利を持っている。ここまではっきりとモノを言いきる、また、現場に則して活動を展開する行動力、洞察力、また、それを支えるボランティアを集める人望、全く脱帽せざるを得ない。


しかし、私は、この人は古典的活動家だと感じた。久田氏の前に話をした、関口氏の団体では、津波の被害で出た「瓦礫(これはどなたかの家の一部であったのだが。これは許可を取りながらやっているらしい)」を利用して「表札」を作る活動をしているという。確かに、食料、衣類は喫緊に必要なもので、より多くのボランティアを動員して瓦礫をいち早く片付けること、これは最優先課題であるのだが、関口氏たちのような活動は、一方でより重要であることもある。そして、フィリピンの火山災害の時のコミュニティの相互扶助を語った反町、清水両氏に対して「コミュニティが大切なのは当たり前でしょ」と。


以前、このブログでも書いたことがあるが、今回の震災に対応するNGOの連帯は、阪神淡路の時の教訓が非常に生きていたし、これからもこれがいかんなく発揮されると思う。たしかに、久田氏の目の付けどころは鋭い。しかし、名古屋という地方都市だけでこれをやっているだけでは、彼の問題を解決したことにはならない。確かに名古屋という大都市での範として、大きな役割を果たしているのだろうが、東京や大阪、さらに地方諸都市を考えれば、やはり微々たる力で微々たる仕事をしているだけだ。実際、久田氏がどのようなネットワークの中で活動しているかはしらない。しかし、壇上での久田氏のやり取りを見る限り、久田氏自身が他の人たちの経験から学ぼうとしている態度は見受けられない。「支援側‐受益者」というネットワーク以外にも、支援者間、受益者間のネットワークの重要性は、おそらく、阪神淡路の時の大きな経験として残っている筈である。

コメント

  1. 荒熊さんのこのブログの内容だけで判断するのはマズイと思いますが、きっとこの久田先生という方、きっと自分のやっておられることにかなり自信をお持ちなんでしょう。高校生をバスで7台も被災地に送るというのは並大抵の力ではありません。しかしながら、少しばかり謙虚さを失っておられるような感じですね。荒熊さんの批判は良く解る気がします。歳をとるごとに、『謙虚さ』の重みを感じます。『美学』の違いかもしれませんねえ。

    返信削除
  2. >katabira no tsujiさん
    非常に主観的な意見でした。少し汚い言いまわしもあり、読みぐるしい部分もあったかと思います。それをいつもいつもうまくまとめていただいているようで、ありがとうございます。
    久田氏、人間的にはとても魅力的な方だと思います。でも、「コミュニティが大切なのはあたりまえ」といいつつ、「被災者支援」というコミュニティの当事者としてのご自身の居場所については全く省察していない。きっと、このことは全くお分かりになっていないな、と思いました。これがあまりにも残念でした。おっしゃるような『謙虚さ』を持たれていたら、あの場にいた何人が動いたか…と考えると少々切ない気もします。
    久田氏の活動は、息長く、そして、多くの人にシェアされなければならない、ご本人もしきりに強調されていましたし、私もそう思いました。もし、もっと合理的に考えるなら、もっと胸襟を開いて、活動されればいいのに…
    『美学』の違いですか…きっとそうかもしれません。

    返信削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

【食文化シリーズ】ンゴレ

【日本のアフリカン・レストラン】② Tribes(アフリカン・フレンチ)

ブルキナファソで非常事態宣言