プチ菜園。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 4月 22, 2011 ちょいちょいと用事をしながら、前から考えていたプランターを導入した。左の2株がオクラ、右の2株がトマト。近くの花屋さんで購入した。両方ともアフリカでよく食べる野菜。ずいぶん環境は違うけど、観察しながら楽しもうかと思っている。幸い、拙宅は日当たりだけはすばらしく良い。そして、完璧に朝型生活の我が家は朝確実に水やりをする。でも、ちゃんと育ちますように。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
【日本のアフリカン・レストラン】④「Amaging Grace」@草加(ガーナ料理) 11月 18, 2024 日本のアフリカン・レストラン3軒目。 Amaging Grace @草加市です。こちらも前回のセブンスターと同じく比呂さんのご紹介なのですが、今回は比呂さんとご友人方ともご一緒させていただきました。ちなみに、比呂さんは Ethnic Neighborhood というYoutubeチャンネルを作られています。 東武スカイツリーライン新田駅から徒歩5分ほどのところにあるAmaging Grace。店内には、テーブル席が4つほど。我われ3名が到着した時には、まだ誰もおらず来店1号。 メニューを眺める。いわゆるガーナの定番料理が並んでいるのですが(これがガーナ人が喰いたくなるやつという理解ができた)、とりあえず、食べたことのないものを少しずついただきましょう、ということで、トゥオザーフィ(TZ)とワチェ、ケンケを注文。 ケンケ ケンケは何度かのガーナ滞在の時にも食べましたが、改めて食べてみて、ドンクヌであることを再確認。ベナン、ブルキナと食べ方もほぼ一緒。ブルキナ民としては、魚が大きいのが違和感(うらやましい)ですが、やっぱり海魚が合うのですね。旨いです。ちなみに、ケンケは2階のガーナ食材店で買っていきました(500円!)。 ワチェ(スパゲティの下) 比呂さんの Ethnic Neighborhood でも紹介されています。比呂さんからは、赤飯みたい…と聞いていて、おそらく ベンガ のことだろうと思っていましたが、ビンゴでした。豆も2階のショップで売っていましたが、ササゲですね。ほかのウェブサイト(大体自分が行ったところの名物料理的な書き方ですが、一様に北部(タマレとかワとか)ということも書いてあった)にも、書かれているように北側でよく食べられる、ということは、ブルキナなどとの繋がりあり、と見て、同じものと思っています。 正直なところ、これは旨かった…シトと呼ばれるペーストがあるのですが、これがつくだけでかなりいろんなものが食べられるのですが、これとゆで卵がついて、豪華な感じのするベンガでした。これ、ブルキナに持って行ったら売れると思うのですが。 TZトゥオザーフィ そして、トゥオザーフィ。これも念願でした。これは「ト」ですね。トは何回もこのブログに書いていますので、以下の記事をご参照ください。 https://cacaochemise.blogspot.com/2014/... 続きを読む
【出版】藤本武・八塚春奈・桐越仁美(編)2025『食文化からアフリカを知るための65章』明石書店 5月 07, 2025 2025年6月2日に『食文化からアフリカを知るための65章』( アマゾン /明石書店)いよいよ出版されます。 2018年末に、その後、籍を置くことになる京都精華大学を会場として行った「 第2回 アフリカ発酵食品文化研究会 」が本書の母体となった、アフリカ食文化研究会(正式な名前ではないですが)で、2023年からは東京外国語大学のアジア・アフリカ言語文化研究所の共同研究「 アフリカ食文化研究-変貌しつつあるその実像に迫る―(jrp000289) 」という名前で活動をしています。これまでに、この研究会からは、すでにいくつもの論考を発表し(例えば、 『農耕の技術と文化』30号 など)今回の出版にたどり着きました。 私は以下の4章分を分担執筆しました。 第8章 西アフリカ乾燥地の伝統的主食:雑穀で作られる練粥「ト」 第17章 西アフリカに広がる米食文化:セネガル料理の影響と土着の料理との融合 第36章 アフリカの納豆文化:西アフリカの味を決める発酵食品 第46章 チャパローソルガムでつくる地酒(ビール) しかし、これでいよいよ手持ちのネタは玉切れ。なんか新しいネタを考えておかねば… もし、奇特にもこのブログを読まれている方で、ご所望の方がおられましたら、ほんの少しお安くお譲りできると思いますので、ご遠慮なくお申し出ください。 続きを読む
ブルキナファソ・カメルーン調査② ブルキナファソ 10月 28, 2019 今回のブルキナファソ滞在中、ほんの一瞬だけコングシのプロジェクトのサイトを訪問。おそらくしばらくこちらに来られないことを考え、ご挨拶と事情の説明をした。 今年は雨の降りが悪く、昨年44回あった降雨が、今年は22回。ソルガムの茎は細く、かなりの数が風で倒れてしまっていた。それでも、ラッカセイやササゲはそれほど悪くないようで、何とか食いつなげるか、というところらしい。 採れたてのラッカセイ この地域、ほぼレベル4のあたりに近く、僕が訪れる数日前にも、同じ県内で襲撃事件があった。とても気になるのが、「温和なブルキナべ」の間にも、かすかに民族間の亀裂が見え始めていることだ。現在の西アフリカの混乱は、表面的にはいくつかのイスラーム過激派が引っ掻き回していることがその原因だと思われているが、ブルキナファソはこの騒動の中でも周縁部にあたり、マリやニジェールのそれとは若干様相を異にする。 ブルキナファソ、特にモシ社会の中では、イスラームと言えば、ヤルセ(マンデ系)、ハウサ、そしてフルベがその中心にいるが、通商民であるヤルセやハウサは比較的うまく溶け込んでいるが、遊牧民「だった」フルベは、様々なレベルで農耕民とコンタクトを持つ。よくあるのが、フルベがモシの家畜の世話をし、その見返りに穀物を獲得する、また、フルベの家畜を農耕民モシの畑に駐留させて土地の回復を担う、など、持ちつ持たれつの関係性を保ってきた。しかし、人びとの間で、ジハーディスト☞ムスリム☞フルベという連想ゲームが共有されるようになり、そして、実際に起こる暴力事件(もしかするとイスラームの文脈とは一切関係なく)がさらにそれに拍車をかけている、という図式が定式化されてしまっているように見えた。 前回の調査では、調査地の村に住む、フルベの家族の下を訪れたが、どことなくよそよそしかったし、これまでほとんどNGOの支援を受けていないようだった。この村に畑を借りているので、説明に訪れる段になると、NGOの代表は事前に電話をかけて、フルベの様子を探り、私が村に着くと、カラシニコフをもったクリストフさんが…彼は狩人なので、銃を持っているのはあり得ることだが、完全に護衛である。畑の巡検は和やかに進んだが、状況はここまできていることはとても残念なことだ。 ラファエルさん(右)とクリストフさん(左) 調査... 続きを読む
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