調査とヤルセ

ある日、親しくさせていただいているとある先生から、遅々として進まない博論について、ずいぶんお叱りを受けた。未だ、その時から状況は大きく変わっていないので、今度お会いした時にはさらにお叱りを受けるのだろう。しかし、この先生がおっしゃっていた、書いた後に研究したいことを数えてみた。先生が修論執筆者の進学の時にアドバイスされるという、4つ、5つには満たなかったが、いくつか調べたいことはある。

本来の研究を進めながら、少しずつヤルセの調査を始めて1年半になる。論文にも少しずつ「ヤルセ」の文字をちらつかせてみたりしている。

幸い、というか、今回いただいた仕事では、初の村調査をさせていただいているだけでもありがたいのだが、この村がヤルセの村だというので、益々ありがたい。しかも、2か村共に。

以前、Sagbotengaのモスクの話を書いた。このモスクに比べるとずいぶん歴史は浅そうだが、やはり、マリなどによく見られる形のモスクがある。Y村である。こうしたモスクの多くは一つの村の力だけで建てられたものではなく、この地域だと、OuahigouyaとかDjiboの富裕ムスリムの助力がある。このネットワークも注目しておかねばならないこと、今回はこんなことに目が行った。
ヤルセの村を訪れたのは、3か村目。どうも、経済、宗教的な影響だけでなく、実は、モシを称するヤルセがかなり多い。T村での聞き取りの際、近年になって、モシとの通婚が始まったというが、それまでは、ヤルセの中での婚姻以外は認められなかった、という。人口統計には一文字も出てこない(モレを話すので)が、意外にモシ社会を構成するヤルセは、考えもしないような影響力を持っているのかもしれない。
とまあ、今日出国なのだが、環境の調査をしながらも、自分の研究にもずいぶん有益な調査ができた。後はワガドゥグにいる間の調査がもう少しできるといいのだが…
今度は1月10日前後からの渡航予定。仕事も研究も課題だらけだけど、ボチボチとやっていきたいもんです。

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