コーラン学校2 タリベたちとできの悪い生徒

前にこのブログにも書いたように、今回のこの調査、タリベ(コーラン学校の生徒)の生活を知ることが目的です。現在のワガドゥグのストリート・チルドレンにタリベが多いことが、いくつものNGOによって指摘されてきたからです。また、もう一つに、ワガドゥグをイスラーム都市と考えた時、ワガドゥグ市民の多くが幼少期にコーラン学校を経ていることからも、ワガドゥグ都市民を理解するうえでも、大いに意義のあることだと思ったこともあります。

そんなわけで、コーラン学校の滞在中、できるだけ彼らと話をすることを心がけました。本当に小さな10歳以下の子どもとは会話が難しかったです。わけのわからない「白人」の「オヤジ」が自分たちと同じ所で寝泊まりしているのですから、遠巻きに僕を眺めている状況で、なんともしがたかったのです。しかし、20歳前後の数名とはかなり話ができました。

彼らも「コーラン学校の生徒」ということで、日々コーランを読み、「信仰生活」という言葉にふさわしい生活を送っています。彼らの中でも最もシリアスにイスラームについて語ってくれたのが、アブドゥル(21)とユヌッサ(24)でした。

アブドゥルはモスクの前で小さな雑貨屋を営んでいるのですが、初日にタルが去るときに、彼に僕を託していったこともあり、ずいぶん強く責任を感じながら僕に接していたように思います。初日から、「これを覚えろ」とかいうフレーズが3つ4つ…アラビア語をラテン語表記したもので、とても簡単には読めません。もしかすると多少老化した脳みその僕に、苛立っていたかもしれませんが、気長に、ひたすら読み方を教えてくれます。

小学生以来、初めて、意味を持たない記号を覚えさせられたように思います。小学生時分、僕は相当優秀な生徒で、簡単にこんなことはできたはずなのですが、その後、すっかりこういうことが苦手になっていました。結果、苛立ったのは僕で、年甲斐もなく、途中で投げ出す始末…(お恥ずかしい)。そして、蚊の多さを言い訳にタルの家に逃げ込み、お祈りをサボると、翌日、「一緒にお祈りをしましょう」と言って僕がサボった分だけのお祈りを一緒にやってくれるのです。この時は、計8回連続でお祈りをしたのですが、スクワットと腕立てを組み合わせたようなお祈りをこれだけすると、腕がパンパンになり、困りました…

ちなみに、これは面白いな、と思ったのですが、イスラームのお祈りって、借金みたいなもんで、祈らなかったら、その分を後で返せば("payer"という表現をしていましたし)いいものらしいです。

アブドゥル、さらに、毎日食事と水を僕に届けに来るし、あまりに健気過ぎて、非常に俗な動機でムスリムになった僕としては、実のところ、とても気が引けてしまいました。動機不純と劣等感、妙にプレッシャーを感じながらのフィールドワークとなりました。

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