子ども学と子育て Vol.16 保育園その後
4月6日@広大 |
土曜日の午後に広大にて |
とりあえず僕が広島にいる限りは基本的に貴一朗の送り迎えは僕の仕事。10㎏になる貴一朗(それでも僕の10分の1程度/ということにしておく)を抱っこ紐に入れて毎朝夕20分かけて保育園に行く。これはなかなかの重労働で、最初の2週間は腰が張って、なかなかしんどかった。だけど、この往復40分は貴一朗が僕の一番そばにいる時間で、歩くのに慣れてくると、僕にとっては実に楽しいひと時。特に帰り道。保育園に迎えに行って、僕を見つけて嬉しそうにする貴一朗を抱きかかえて、途中でお気に入りの松の木のそばで少し松の葉に触らせて、鳥の声に耳をそばだててみたり、時に木陰に寄り道してみたりもする。
土曜日も午前中だけ貴一朗を預かってもらうことが多いのだけど、さすがに週6勤務はかわいそうなので、先週は迎えに行った帰りにキャンパス内の芝で少し放牧。桜の時期は終わっていたけど、青々とした芝の上をテクテク歩き、時々、落ちている小枝を拾って振り回す。狭い家の中と保育園の往復で、こんなことをいつもしてやれるわけでないので、少し罪滅ぼし。
少しずつ、貴一朗も僕ら夫婦も生活のリズムが出てきて、裁量労働制をギリギリまで謳歌していた僕の生活も、サラリーマン的なものになってきたけど、貴一朗まですでにそんな生活の型にはめ込まれようとしている。ハビトゥスというのはこうやって形成されていくのだな…とそれらしいことを考えてもみるのだけど、それにしても、1歳そこそこで保育園に預けてしまっていいのだろうか。もちろん、そういう型にはめ込まれている(かなりそこからは遠い人たちだったのだけど)夫婦ともに働こうと思うと、核家族の我われはこうせざるを得なくて、でも、まだまだ乳離れさせるのは早すぎる気がしてしまう。どこかの国の記事で、生まれてすぐに子どもを一人部屋で寝かせるらしいことを読んだけど、果たして、それで「独立心」みたいなものは早い時期に成熟するのだろか。また、成熟させる必要があるのだろうか?乳離れも、自然に、と思っていたけど、保育園に行きだしてから、そう考えていた僕まで「けじめを!」とか言い始めてしまったし…
親子ともに社会にかかわることは、つまりこういうことなので、今のところは従っておくしかないのだけど、なんかまっすぐに曳かれたレールの上に乗せてしまったな、というほんの少しの後悔を感じながら日常は流れていっている。
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