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3月, 2025の投稿を表示しています

フランス、スペイン視察 アンジェ

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年度末を迎え、2024年度の〆の作業と2025年度に向けた準備で、それはそれでバタバタとしている中、学科の学生が滞在するフランス、アンジェとスペインのグラナダの視察旅行を敢行しました。 アフリカに憑りつかれた私にとって、ヨーロッパを回ることなど人生で最後ではないでしょうか。現地のカウンターパートを訪問、学習環境の確認、学生の様子を確認、と言った任務がある一方で、ここでフィールドワークをする学生たちがどのような街に住んでいるのか、ということはよく見ておきたかったというのも大きな理由です。 まずアンジェ。人口10万人ほどの地方の小都市で、本当にシンプルな街、というのが印象です。市の中心にアンジェ城があり、その周りに中世を思わせるような街区(小さい!)があり…という感じ。フランスの地方都市らしく、必要なインフラはしっかりあり、大学は街に対して大きく、とても住みやすそうでした。ただ、名物がコアントロー、という、若干地味な感じはぬぐえませんが、勉強するにはよいでしょう。 写真を少しおいておこうと思いますので、雰囲気を感じていただければ、と思います。  

【映画】『こんにちは、母さん』(2023年、出演:吉永小百合、大泉洋、監督:山田洋二)

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  1カ月半ほど前に見た映画です… わざわざ見に行くことがなかった映画を片っ端から見られるのは、とても幸せなことだし、改めて見たいものが出てくるのもよい。 今回はAIが勧めてくれた(大泉洋関連かな?)この作品。山田洋二監督、吉永小百合主演、寺尾聡が脇を固める、なんとも昭和の香しいキャスティングだが、ここに大泉洋や永野芽郁あたりが現代に引き寄せる。なかなかに安定感のある作品でした。あらすじはいくらでも落ちているので、今回は省略します。 この作品の主題は、「女」の愛情リアリティ、と表せるのではないかと思います。「母の愛」と言えば、母性や家族を包み込むような愛が描かれがち、「女性らしさ」「母らしさ」「妻らしさ」というこれまでにさんざん指摘されてきた、女性へのステレオタイプがどこかに忍び込むのではないかと思います。「美しく」、予定調和的に描こうと思えば、こうなるのだろうと思うのだけど、この作品ではこのような描かれ方はしない。吉永小百合は大泉洋の母親役であり、しっかりその母親として、また、社会人(職人)として自立した人間。しかし、「恋」に落ちる「女」でもあった。しかも、昔の中学生の初恋のような恋の仕方をする。老年の「恋」も余り描かれてこなかったテーマですが、このあたりが特に新鮮な作品でした。ほかに適役が思い浮かべませんが、吉永小百合にこの役を演じさせてしまうあたり、山田洋二監督ならでは、と言ったところでしょうか。

時は矢のように

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2025年度の卒業式にて 2月後半に訪れたアジア学院で、フィリピン人の歌うたいが、日本の三寒四温に感激し、「三寒四温」という歌を作りました…と言って聞いてから早1か月。2月は走る、3月は年に何度かある「師走」。バタバタと出張をこなしていたら、もう半袖でよいのではないか、くらいの気候になりました。 3月20日に無事に卒業式を終え、私のゼミから「6人」が卒業しました。昨年から13名が私のゼミから巣立ちました。卒論執筆、卒業展示を経て3か月間、若干間延びしていましたが、優秀論文が2本でたため(横田さん、雑喉さんおめでとう!)に、この間も一部の原稿を読んでいる時間が続きました。 卒業式が終わり、少しはゆっくり…と行きたいところですが、明日は早くもガイダンス。新学期に向けたいろいろな動きが出てきます。来年度は、学部の再編が始まり、大学全体としても授業回数が15回→14回となるため、授業資料もいつもより多くの見直しが必要になります。それと同時に、年度内に何とか終わらせたい仕事がいくつか…昨年末は思いのほか仕事が進まなかったので、ここでもう一度仕切り直しをしたいところ。  

【映画】『焼肉ドラゴン』(監督:鄭義信、出演:真木よう子、井上真央、大泉洋ほか、2018年)

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  アマプラが見られるようになってから、隙間時間はバラエティ番組から映画の時間になりました。この日もアマプラのリストを検索していて目についたのがこの作品。大泉洋と井上真央という、脂ののった役者さんとその両脇を固める見覚えのないお二人…サムネイルから、在日コリアンの話っぽいので、見てみることに。 いわゆる土木事業の労働として朝鮮半島から連れてこられたコリアンたち。コリアンたちは第2次大戦直後からの朝鮮戦争のため、故郷朝鮮半島に帰ることも叶わず、また、長年の日本での生活により生活の基盤が日本にあり、どうしてもすでに離れられなくなってしまい…というウトロでずいぶん伺った背景が描かれる。すでに朝鮮の言葉がつかえなくなっているという、2世、3世問題、さらにコリアンと「日本人」の結婚問題や教育の問題など、異文化間の歪も重要な問題として描かれている。 Wikiで紹介されている監督の鄭義信のコメントも大変興味深い。 「大阪万博の開発にともなう変化を題材に決め、「日本の共同体そのものが崩壊を始めた時代」と捉えていた1970年前後を作品の舞台として、1年間かけて戯曲が執筆された。この時代を描いて当時ヒットしていた『ALWAYS 三丁目の夕日』のアンチテーゼとする事を意識したという。また「在日のコミュニティーは世代を重ねて失われつつあり、遠からず滅びるかもしれない」と考えていた事から、コミュニティーの一つの記録にもなれば、と鄭は語っている。」 なるほど。『三丁目の夕日』と同じ時代なのか…言われてみれば、日本の高度成長期の陽向と日陰のような関係。決して成長への希望のみが時代を満たしていたわけではないことがこの作品を見るとよくわかる。 さらに、在日コリアンの監督ならではの、在日の内側から描いたこの作品の前提も大変勉強になる。 「執筆に先立って万博の開発で消えていった集落なども取材し、実際に訪れた 大阪国際空港 横の 伊丹市 中村地区 がモデルとなり「I空港そばのN地区」を舞台とした。焼肉屋を題材にした点については「寄せ屋(くず鉄屋)、ヘップ(サンダル工場)、焼肉屋は在日コリアンの三大職業のようなもので、小さな焼肉屋を通じて彼らの一端を描ければ、と考えた」と鄭は語っている。姫路城の外堀の石垣にあった鄭の実家が強制撤去された体験なども作中エピソードのベースになっている。」 なるほど…いち...