よいお年を!
大晦日になりました。いよいよ2019年、平成30年も大詰めを迎えました。
前職での人間関係をこじらせて仕事を辞めることにして、3月に広島を離れ、一家で千葉の僕の実家に転がり込むという、落ち着かないイベントから始まった今年の前半。ハローワークに通いながら、連れ合いと貴一朗と過ごす毎日。つまり、一家もろとも路頭に迷う寸前まで来てしまった。仕事を失うこと、すべてが自分の双肩にかかっていることを実感させられた時期だった。
精神的に経済的にもどん底状態だったが、前の職場から解放され、心がすっと軽くなり、過去を振り返り、前を向く。ここからもう一度始めないとな、と思いなおせるようになった。そして、ようやく本格的に始めた博士論文、そして、その前の年から執筆を始めていた著作の執筆。学会発表は極力少なくし、書く作業に重点を置いて過ごすことにした。しかし、すべてがうまくいくわけもなく、7月には連れ合いと貴一朗を連れ合いの実家に預けることになり、以来、バラバラで過ごすことになった。人類学的には、よくある理由だけど、たぶん、根本的な解決は当事者が解決の意思がないので、解決するわけもなく、これは長引くだろう。身内であろうとも、一人の人間なのだから、なるようにしかならん、今更ながら理解できたわけだけど、反面、すべては自分次第だという、これも当たり前のことを痛感して今に至っている。
失業保険が10月に切れ、当座の収入が絶たれたので、11月は10年ぶりにアルバイトをすることにした。ある人にバイトの話をしたら、ずいぶん心配されたので、以来あんまり気を使われるのが申し訳なくて話さないようにしたのだけど、あと正味1週間ほどなので、まあいいか、といういことで。失業したとは言え、ちゃんとした研究者になることはあきらめていないので、いくつか所属先は残しており、地球研のプロジェクトには参加させてもらっていたので、割と出張が多く、定期的なバイトはできなかった。なので、主に週末単発で試験監督をしているのだけど、まあ、これはこれで勉強することばかり。バイトの仕方もずいぶん変わった、というか、今までロケーション重視でバイトを探した経験しかなく、ランダムに選択していくというのを始めてやったので、一般的なバイト探しを初めて経験したわけだ。どういうことかというと、派遣会社に所属し、そこから仕事を紹介してもらう、という、今、まさに日本で問題となっているシステムの中に足を突っこんでいることになった。でも、いいのか悪いのかわからないけど、仕組みがわかってくると、これはこれで使いようもあるし、いろんな人がいて面白い。当然ダブルワークという人が多いのだけど、いろんな人がいて面白い。一日一緒にいるのに、仕事以外のことはほぼ話をしないわけだし、ほんの一瞬の会話の中に、1円でも貯めようとするギラギラしたものを感じたり、なんか困ってそうだな、というのを感じたり…霞を喰うような職場に長くなってしまい、こういう感じをすっかり忘れていた。
同じころ、所属先がもう一つ増えることになった。京都精華大学で来年度から開所予定の「アフリカ・アジア現代文化研究センター」の設立準備室の嘱託職員として在籍することになった。同大学の学長になったウスビ・サコ先生、学長室の方との共同作業がこのころから本格化する。というのは、実は、広島を離れる直前にセンター開設の話がほのめかされており、この一年、しんどい環境の中で、比較的安寧に過ごすことができたのは、この話のおかげだった。
さて、今年を振り返れば、もっと書くことがたくさんある。1年というのは短いようで長い時間だ。調査にも行ったし、この状況の中、一緒に盃を傾けてくれた友人、そして、緊急事態を何も言わずに受け入れてくれた家族のこと。本当に書ききれないほどたくさんのことがあった。誰も見ていないと思うけど、感謝しています。
そして、10数時間後に明ける2019年。1月に京都に引っ越し、新たな、そしてゼロからの生活が始まる。京都では、京都精華大学と古巣の総合地球環境学研究所の二つの組織に所属することになる。この二つの職場、実は線路を挟んでのお向かいさんで、駅をどちらで降りるか程度の距離感。どんな風になるのか、想像がつくようなつかないような感じだが、両方とも自分が始めた仕事をひたすらやっていくだけ。そしてもう二つ…これはまだ書けないが、一つは確実に始まるし、もう一つはもしかすると…暗鬱とした年末を過ごした昨年末と比べると、この先の光が強すぎて目を眩まされないように気を付けたい今年の年末。
いや、その前に今日中に終わらせねばならない仕事が二つ。こんなブログをゆっくり書いている場合ではなかった。
今年いろんな局面で助けていただいた皆様、特にお礼を申し上げます。それ以外の皆様も健康で、良いお年をお迎えください。
前職での人間関係をこじらせて仕事を辞めることにして、3月に広島を離れ、一家で千葉の僕の実家に転がり込むという、落ち着かないイベントから始まった今年の前半。ハローワークに通いながら、連れ合いと貴一朗と過ごす毎日。つまり、一家もろとも路頭に迷う寸前まで来てしまった。仕事を失うこと、すべてが自分の双肩にかかっていることを実感させられた時期だった。
精神的に経済的にもどん底状態だったが、前の職場から解放され、心がすっと軽くなり、過去を振り返り、前を向く。ここからもう一度始めないとな、と思いなおせるようになった。そして、ようやく本格的に始めた博士論文、そして、その前の年から執筆を始めていた著作の執筆。学会発表は極力少なくし、書く作業に重点を置いて過ごすことにした。しかし、すべてがうまくいくわけもなく、7月には連れ合いと貴一朗を連れ合いの実家に預けることになり、以来、バラバラで過ごすことになった。人類学的には、よくある理由だけど、たぶん、根本的な解決は当事者が解決の意思がないので、解決するわけもなく、これは長引くだろう。身内であろうとも、一人の人間なのだから、なるようにしかならん、今更ながら理解できたわけだけど、反面、すべては自分次第だという、これも当たり前のことを痛感して今に至っている。
失業保険が10月に切れ、当座の収入が絶たれたので、11月は10年ぶりにアルバイトをすることにした。ある人にバイトの話をしたら、ずいぶん心配されたので、以来あんまり気を使われるのが申し訳なくて話さないようにしたのだけど、あと正味1週間ほどなので、まあいいか、といういことで。失業したとは言え、ちゃんとした研究者になることはあきらめていないので、いくつか所属先は残しており、地球研のプロジェクトには参加させてもらっていたので、割と出張が多く、定期的なバイトはできなかった。なので、主に週末単発で試験監督をしているのだけど、まあ、これはこれで勉強することばかり。バイトの仕方もずいぶん変わった、というか、今までロケーション重視でバイトを探した経験しかなく、ランダムに選択していくというのを始めてやったので、一般的なバイト探しを初めて経験したわけだ。どういうことかというと、派遣会社に所属し、そこから仕事を紹介してもらう、という、今、まさに日本で問題となっているシステムの中に足を突っこんでいることになった。でも、いいのか悪いのかわからないけど、仕組みがわかってくると、これはこれで使いようもあるし、いろんな人がいて面白い。当然ダブルワークという人が多いのだけど、いろんな人がいて面白い。一日一緒にいるのに、仕事以外のことはほぼ話をしないわけだし、ほんの一瞬の会話の中に、1円でも貯めようとするギラギラしたものを感じたり、なんか困ってそうだな、というのを感じたり…霞を喰うような職場に長くなってしまい、こういう感じをすっかり忘れていた。
同じころ、所属先がもう一つ増えることになった。京都精華大学で来年度から開所予定の「アフリカ・アジア現代文化研究センター」の設立準備室の嘱託職員として在籍することになった。同大学の学長になったウスビ・サコ先生、学長室の方との共同作業がこのころから本格化する。というのは、実は、広島を離れる直前にセンター開設の話がほのめかされており、この一年、しんどい環境の中で、比較的安寧に過ごすことができたのは、この話のおかげだった。
さて、今年を振り返れば、もっと書くことがたくさんある。1年というのは短いようで長い時間だ。調査にも行ったし、この状況の中、一緒に盃を傾けてくれた友人、そして、緊急事態を何も言わずに受け入れてくれた家族のこと。本当に書ききれないほどたくさんのことがあった。誰も見ていないと思うけど、感謝しています。
そして、10数時間後に明ける2019年。1月に京都に引っ越し、新たな、そしてゼロからの生活が始まる。京都では、京都精華大学と古巣の総合地球環境学研究所の二つの組織に所属することになる。この二つの職場、実は線路を挟んでのお向かいさんで、駅をどちらで降りるか程度の距離感。どんな風になるのか、想像がつくようなつかないような感じだが、両方とも自分が始めた仕事をひたすらやっていくだけ。そしてもう二つ…これはまだ書けないが、一つは確実に始まるし、もう一つはもしかすると…暗鬱とした年末を過ごした昨年末と比べると、この先の光が強すぎて目を眩まされないように気を付けたい今年の年末。
いや、その前に今日中に終わらせねばならない仕事が二つ。こんなブログをゆっくり書いている場合ではなかった。
今年いろんな局面で助けていただいた皆様、特にお礼を申し上げます。それ以外の皆様も健康で、良いお年をお迎えください。
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