子育てと子ども学 Vol.12 抱くこと (201702「ストリート・チルドレン」調査@ワガドゥグ メモ-②)

20170215夜 スイスの支援者たちによる食料配給
さて、前回の投稿でも書きましたが、今回は心強い援軍のお陰で、今まで見ることができなかったところを見ることができ、この意味では本当に充実した調査になりました。

子どもの研究を標榜して早6,7年となります。どんな風にフィールドワークをするのか、様々な方と調査をご一緒させていただいたりしながら、このことがいつも頭の中にありました。とある先生の調査の方法は、限りなく子どもの世界に接近していくのですが、もう一つ外側から見ていて、子どもたちはこの先生のことをどう見ているのだろう、自分にここまでできるだろうか、なかなか悩ましい問題です。文化人類学のフィールドワークの一般的な方法論から言えば、まさに全うなアプローチなのですが、やはり、ここまで僕には全くできていません。

今回、スイスから来ていた慈善団体の活動に付き合わせてもらいました。この活動は、ストリートで生活する子ども、女性にパンや洋服、チョコレートを配布するというもの。今回調査に付き合ってくれたルードヴィックさんが毎年コーディネイトしています。これは、夜、皆が寝静まるころに行われるのですが、中に初めて行くサイトがありました。

そこは、夜間、子連れの女性、寡婦、年老いた女性が寝ているところです。我われが到着すると、そぞろに蚊帳の中からゆっくりと出てきます。その前に訪れた、ワイルドにパンを奪い合う子どもたちのサイトとは全く雰囲気が違い、みんなスタッフたちと談笑しながら、支援物資を受けていました。
ここに集うのは、夫に先立たれ、夫のイエを追い出された女性、魔女に疑われて住むところを失った女性、このあたりで考えられる、ありとあらゆる背景を持った女性たち。中によちよち歩きの赤ちゃんの姿もちらほらと…いかんともし難い雰囲気です。

子どもに目を移すと、小さな子どもは僕を含む白人たちにお母さんの陰に隠れてしまう。そんなこともよくわからない赤ちゃんは不思議そうに僕らのことを見ています。その中の一人を抱きかかえると、いい笑顔を返してくれます。少しルードヴィックの話を聞くため、彼女を下におろして彼のところに向かうと、よちよちと追いかけてくるので、抱っこしながら話を聞くことにしました。そこにいたのは10分くらいでしょうか。彼女を抱っこしていたのも数分間。彼女はずっと僕を追いかけてきます。お母さんが抱きかかえるのですが…

話を元に戻すと、僕は完全に大人。子どもにはなれるわけがない。(こんな話もよく聞く話ですが。)僕は父親で、そこで抱きかかえた彼女の重みは、貴一朗と同じようなもので、しばらく離れた我が子を思わないわけもない。彼女を抱っこした瞬間、こういう関係性になるのだけど、どうもここがストイックな研究者と凡人の間の分水量だったようでした。「カワイイ」と言って、罪のない子どもと、生まれて間もなく、貧困という厳しい現実の中にいる子ども。前者は抱っこすることで人との間が縮まるが、後者の場合、僕の立ち位置は、支援者にぐっと寄ってしまう。

僕の感情や感覚の中だけの問題で、いささか自意識過剰な書き方でお恥ずかしい限りだけど、研究者としての立ち位置にどのように影響するのだろうか。客観的に記述することを意識できるのだろうか。こんなことを考えさせられた場面でした。

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