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同級生

僕は中学受験をして、早稲田中学校という学校に入った。中高一貫校で、僕らが在学していたころに最後の高校受験が行われて、6年一貫校になった。それぞれがいろいろあったように、僕にもいろいろあって高校を出て、大学に行き、社会に出た。たぶん、超優等生だった小学生が、優等生に混じった中学校では真ん中くらいの成績になって、それはそれでうまくいかなくて、落ちこぼれてどんどん普通の人になっていった、というのが実情だろう。 つい最近までこのころのことはものすごく引きずっていた。学歴コンプレックスの親戚みたいなもんで、同級生に追いつきたい、という強迫観念がずっとあった…ような気がする。 僕はすごくアナログな人間なはずなのに、実は、SNSとかバーチャルな世界にずいぶんお世話になっている。妻を見つけたのもSNSでのことだ。20年も前にほぼ音信を絶ったような形になったのは、よく自分でもわかっていて、時々妄想するすでに出世している同級生の幻想はあまりにまぶしかった。たまたま、なにがきっかけだったか忘れたけど、Facebookで誰かを見つけたのがきっかけで、東京で時々当時の同級生と杯を交わすようになった。中高生のころに特につるんでいた奴らではないけど(僕にはそういう人たちがどうも思い当たらない)、それにしても会って何度かするまでどんな奴だったか思い出せない奴までいて、なんとなく決まったメンバーで集まるようになった。 それぞれのフィールドで素敵なおっちゃんになっている彼らの姿はやっぱりまぶしいのだけど、失った20年を埋めるわけではないけど、今という時間と場を共有できることがとてもすばらしいものに感じるようになった。ただ飲んで、ひとしきりいろいろ話して、帰り際に写真を撮って、FBに挙げて、楽しかったね。それだけなんだけど。 先週の土曜日はその中の一人に海外赴任の辞令が出たとかで、壮行会、という名目で集まった。もちろん、涙などはなくて、カラッと笑って見送ったわけだけど、空白の時間があったとはいえ、20年来の友人の門出。世界は狭くなったし、僕などその気になれば、現実的に会いにもいけそうなところなのだけど、こういう、儀礼じみた仕掛けはやはり必要なものなのだ、と思う。

短い滞在だったけど。

5月29日に到着して、6月7日に出国。10日間ほどの短い調査だったが、無事に体調を崩すことなく今回の調査も終えることができそうだ。今回の滞在にやったことはあまり話せることがなくて、ブログのネタに困ってしまうのだけど、まあ、なんとか終わった、という、なんともあいまいな印象、としか言えない。 僕の場合、フィールドの充実の度合いは、野帳(フィールドノートと言ったり「京大ノート」と言ったりする)がどれくらい消費されるかで測るのだけど、今回は本当に消費量が少なかった。期間が短いこともあったし、上司が一緒だったこともあり、アドミニストレーションやら通訳に費やす時間が多かったこともあったからなのだけど、それにしてもノートがスカスカ。なんか、会社員時代の出張のような感じだ。普段なら、忘れないうちにつけておくものなのだけど、あまりにノートが取れなさ過ぎてほとんど追加情報がない。 関係各所との新たな関係性ができたし、本来のミッションは無事にこなせたので、それはそれでよいことなのだけど、やはり新規データの欠落が「せっかくこんな遠いところまで来ているのに…」という思いを呼び起こす。朝から晩まで上司といて、本もまともに読めなかったし、論文も進まなかった… できなかったことを数えると凹むけど、仕方ない…

新しい場所の感覚

セネガル到着から1週間。ボスと共に到着後翌日から村に入り、昨日からカオラックへ。 と言っても、昨日は、バンベイからトゥーバ、トゥーバから北に150㎞ほど行ったダーラ・ジョロフへ、さらにカオラックに入り、今日の午前中は車を駆って150㎞ほど東進。もちろん、車で通り過ぎただけだが、これで、西半分はほとんど動いたことになる。しばしばそれぞれの興味のあるところを見つけては降りて、少し話を聞いたり、観察したり。多くの場合はボスの現地講義を聞いているのだが、これがずいぶんと勉強になる。よく考えてみたら、ずいぶん樹種も見分けられるようになったし、水の有り無しや天気の見方、ボスとフィールドを回るのはこれで3度目だが、いろんなことを勉強させてもらっている。 旅行から初めて、都市空間を専門として、子どもや宗教といった、文化的な対象を見てきた自分の経歴からすると、実は、ここ何年かでいろんなポケットが広がっている。もっと文献を読んだりしなければならないのだけど、とにかく、このあたりのことは毎年自分のわかる範囲が広がってきていることを実感する。 だが、慣れ親しんだブルキナから2000㎞離れたセネガルは、となると、これはまた別。まだダカールのバスやらタクシーやらの値段の感覚はないし、食事をするにしても、まだ適正価格はよくわからない。一人なら、やはり街を歩き、NGOの人に話を聞き、という決まりきったスタイルでそこに入り込んでいくはずなのだけど、こうしてボスと一緒であったこともあって、自然環境を先行してここの場所を少しずつ把握してきている。 気が付けばもう6月。1週間メールもカレンダーもそれほど意識せずに過ごしてみると、ずいぶんいろんなことから取り残された気がしてしまうが、世の中はしっかり動いているし、自分の周りで動いている人もみんなちゃんと元気に生きている。普段とまったく違うところに身を置いた時の暗中模索の部分とゆったりとした大きな時間のうねりが絡まり合っている奇妙な気分で今日を生きている。