アメリカのギャングは怖い?

いまさらながら、都市の研究が僕の専門で、少しは本を読んでいる。

別にここで学術史を展開しても仕方ないのだが、都市の研究は、アメリカのシカゴ大学がそのメッカ。1920年代ころから始まったといわれている。「シカゴ学派」という学派が形成されるのだが、その一番最初の著作がホワイトという人の『ストリート・コーナー・ソサエティ』というものだ。この本で語られるのは、イタリア系の移民なのだが、いわゆる「ギャング」の走りのような、都市下層民だった。映画「ロッキー」で出てくる、ロッキー・バルボアの異名、「イタリアの種馬」というのも、おそらく、イタリア系移民=都市下層民(つまり、下町のあんちゃん)を想像させるものなのだろう、と思う。

この本に出てくる「ギャング」もグループ間の抗争がある。抗争というと、非常に暴力的なものを思い起こさせるのだが、この抗争は、ボーリングで行われる。実に牧歌的…いろんなイベントが書かれているのだが、そもそも、「ギャング」が社会学者のインタビューにあそこまで正直に答え、絵に描いたように貧困を再生産していく様を見ていると、まったく「ギャング」のイメージが崩れてしまうのだ。

そして、イライジャ・アンダーソンという人が『ストリート・ワイズ』という本を編んでいるのだが、これは80年代のアフリカ系の下層民の話。もっとおどろおどろしい情景が出てくるか、と思ったのだが、これも、ドラッグやセックスのコード、また、古き良き不良少年の話などが出てくる。やっぱり、どことなく牧歌的。どこかでコミュニケーションの可能性が見える。

先日、高橋源一郎さんと内田樹さんの対談をラジオで聞いた(http://www.jfn.co.jp/susume/)。確か、高橋源一郎さんの発話だったと思うけど、日本人が「怖い」と感じるのは、理解不能性に対してで、一神教世界では、絶対的存在が常に付きまとうから理解不能になればいつでもそこに戻れるから、メチャクチャな存在が提示できる。ジェイソンなど、むしろ日本人を怖がらせるために作られたのではないか、という。結局、一神教世界の人が怖がるものがなんなのかは聞き漏らしたか、忘れたけど、エスノグラフィーに描かれる「ギャング」、そんな意味でこんな風に感じるのかもしれない。

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