「人類学も人文科学における嗜好品みたいなもの」

「茶」について調べている。

今度の研究会のネタだ。都市計画でバラバラになった人たちが、「茶会」によって、日々引き寄せられ、話す場を作りだし、関係性を保っている、という話。

「茶」をどういう風にとらえるか、と言えば、「嗜好品」として人間関係を媒介するものとして解釈しておくしかない。「嗜好品」というのは、「 「通常の食物」ではない。だから、栄養・エネルギー源としては期待しない」なのだそうだ。確かに、タバコもコーヒーも、生きて行く上では大して必要はない。「茶」もやはりそうだろう。エージェントになるからこそ、「茶」の機能を果たす。

ただ、生きて行くためにあんまり必要ないから「嗜好品」と言うのは研究が少ない。少なくとも人類学では。タイトルの一節は、今は亡き江口一久先生によるもの。「学校教育で、マイナスとされるものも、嗜好では、高く評価される…そこに、文化的弾力性みたいなものが出てくる。規制づくしでははかれないファジーな部分もあって、人生というのは進んでいくといえよう」として、人類学でももっと研究しないといけない、とする。

いい先生だな…と思う。

引用はすべて 高田公理+栗田靖之+CDI編2004『嗜好品の文化人類学』講談社選書メチエ

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