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アフリカ納豆サミット Vol.4 @東京(2024年9月22日) 

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  直近ですが、「アフリカ納豆サミット Vol.4 @Tokyo」を西荻窪のTribesさんでやります。京都でいろいろな企画を立ててきましたが、今回は東京にて開催します。 ここ1-2年、ご本人が面白がっていると信じ、Tribesの店主、石川さんに少しずつスンバラを供給し続けました。伺う度に石川さんはスンバラをアレンジしていただいており、ひたすらにスンバラ料理に舌鼓を打っておりました。ここの所、メニューを見ることもなくなり、もはやTribesさんが何屋だかよくわからなくなっていますが、今回はスンバライベントの東京初開催に加え、石川さんのスンバラのフュージョン料理をお楽しみいただこうという企画です。 ご参加希望の方はメッセージ機能からお名前と学生かどうかをお知らせください。会費(料理のみ)学生:2,000円、一般:2,500円、ドリンク別です。 お陰様で定員に達しましたので、募集を終了いたします。また東京でもイベントを企画したいと思いますので、その節はよろしくお願いいたします。(2024年9月20日)

【セネガルプログラム】サンルイ① Gette NdarとLangue de Barbari

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Langue de Barbari 今年度のプログラムは8月23日のマガル・トゥーバの影響をいかに回避するか、ということが最初のポイントとなった。マガルが落ち着く8月25日過ぎの移動と設定し、結局27日にサンルイに出発した。 Facebookにも書きましたが、一応「海外短期フィールドワーク」というタイトルをつけているので、初歩的な調査を企画しようということを考えており、サンルイをその舞台としました。       現在引率中のプログラムは「海外短期フィールドワーク」という講義名がついています。という     ことを改めて考え直してみて、ちゃんと調査っぽいのも経験してみよう、ということで聞き取り  のマネごとなど。(8月29日投稿) サンルイ は大西洋岸に面するセネガル最北部に位置し、AOF(仏領西アフリカ)の最初の首都がおかれた都市です。サンルイはセネガル川の河口部にありますが、AOFの首都となったのは、川の中州の部分です。大陸から中洲に渡り、さらに大西洋岸の細い砂洲に渡ると、もう一つ街があります。Gette Ndar(ゲットンダール、上の地図の赤く囲ったところ)と言います。「Ndar」がサンルイのウォロフ語名とのことです。 なぜゲットンダールなのか?コロニアルな建物とヨーロッパ風の店舗とアフリカが混ざるエキゾチックでシャレオツな中洲に比べ、とにかく人の密度が濃く、活気に溢れ、原色の模様を施した船、そして、魚の臭いなど、人間の生の香りがする。私がそういうところが好きだから、というのがその理由です。 2日間の予定で、ゲットンダールを回ることにし、まずは初日。まず雰囲気を見てもらおう、ということで、中州を全体的に…と思い車で南に下り、大西洋を見ましょう、ということで車から降りたところにキオスクが。カフェトゥーバでも…というつもりでいたら、キオスクの店主より、ピローグに乗らないか?というお誘い。 船着き場あたり 学生たちにも相談すると、二つ返事で乗船することにしました。かなり外洋に近いところからの乗船と思っていましたが、この地形がずっと南の方まで続くのですね。点線のように続く砂洲、砂洲の大陸側は穏やかな河口部が延々と続きます。 この季節は、セネガル川源流でたくさん雨が降るため、その際の土砂が溶け込んで下の写真のような色をしています。 対岸を望む そのまま3...

【セネガルプログラム】セネガルゴハン①:チェレ

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  チェレ@モルさん宅 20240830 ブルキナファソ滞在の後、ダカールで学生たちと合流。ブログのタイムラインがバラバラになりますが、セネガルのネタも一緒に紹介します。 今年で3回目となる「海外短期フィールドワーク/海外ショートプログラム」。だんだん引き出しも増えてきて、アフリカを初めて訪れる学生もスムーズに導入できるようになってきたのではないかと思います。 「セネガルはご飯がおいしい」。このプログラムの事前勉強会から実際の滞在まで含めたら100回くらい耳にするフレーズです。もちろんご飯がおいしいことはとてもすばらしいことで、学生たちも毎食舌鼓を打つわけですが、「おいしい」だけではダメなわけです。研修なので。一応、食文化研究が真ん中近くにある私がいる以上、食事はある程度のところからはその土地のことを知るきっかけにします。なので、セネガルで延々とコメばかり食べさせていてはダメで、やっぱりミレットやササゲを口にせねば。ただ、ササゲは街中でもなんとかなりますが、ミレットはなかなか見つけることが困難です。 今回は、サンルイのアテンドをお願いしたモルさんにお願いして、チエスのご自宅で提供していただきました。チェレはセネガルでは、金曜日(安息日)の夕方に食するのが一般的です。詳しくは以下の記事をご参考ください。 『セネガルを喰う』星野未来「セネガルのミレットの食べ方」 https://livingmontage.com/2023/01/01/series-senegal-5th/

【科研費関連調査】ブルキナファソ20240809-0820③:食文化の調査 Riz au Soumbara

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再会した「A店」のスンバラ飯 今回は必ず訪れる!調査の計画を立てているときから心に決めていました。 以前、よく行っていたスンバラ飯の店、拙著で「A店」としていた朝しか営業していないスンバラ飯屋が違う場所に移転したことは、アブドゥルから聞いて知っていました。しかし、朝早くに重たいスンバラ飯、というのはアブドゥルが微妙に嫌がるので、「仕事で行くのだ!」ということを伝え、当日を迎えます。 この日は日曜日、しかも到着2日目ということもあり、予定を立てるのが非常に難しく、きっと、この方はお休みだろう、と見越して公邸料理人の佐藤さんにお声がけ。なんと朝食からお付き合いいただけるようになったうえ、マーケット調査にもご同行いただけるとか。日曜日の予定をどうしようかと考えていただけに、とても充実した日曜日になりそう… そして当日。アブドゥルに大方の場所を特定してもらい、佐藤さんとも合流していざお店へ。以前はグンゲンという街の中心地区にありましたが、新たな店はピシという、グンゲンの外縁に位置する地域でした。 あの店、「クレア姉さんのところ」という名前だったんですね。A店改めです。 到着したのが8時半ころで、お客さんはすでにまばら。早速1000Fcfa(250円くらい)分をビビりながら注文。というのが、この店、以前は代金と量のつり合いが取れずに、大体盛り付けを見て気が遠くなるほど盛られるのです。3人でこんな感じ↓。相変わらずなかなかです。 久しぶり、ということもあり、妙に高揚していたため、こちらは3人でペロリ。佐藤さんにも絶賛いただき、この日の第一弾のイベント終了となりました。2年ほど前にもぬけの殻になった店を見て、店がなくなってしまったのではないかと心配していたのですが、生存確認ができてまずはよかったです。 まだまだ続く。  

【科研費関連調査】ブルキナファソ20240809-19②:「父と息子」

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レストランに貼られていたポスター 「父と息子 人民の偉大なる勝利」 多くの方が西側諸国から距離を取る現在のサヘル三国の行く末を案じているように思いますが、おそらくこの地域が進む方向性は大きく変化しつつあると思います。私はこれまで、様々な場面で、ブルキナファソやサヘル三国のフランス(西側)離れを評価してきました。 確かに、国際政治という大きな流れから見れば、これまでも、また、この先の一定期間は覇権を維持するであろう、西側から離れてしまうことは、この国の抱える貧困問題を考えると、どこか後退してしまう要因になるかもしれません。しかし、「政治」という上部構造の示す大きな力は、この地域の特に都市民の間では、思いのほか民意と強く連動する仕組みになっているように思います。これは、私が話をするようなその辺のおっさんの言うことが、実に的を得ていたり、その通りになったりする経験から私が感じていることです、そして、そうした、 市井の人びとの話を聞いていると、 このまま親仏的な政治を続けていくことで、政治が上滑りすることは、大きな間違いでないとも思っているので、余りに根深く強いフランスへの恨みを感じている私にとっては、やはり現在の軍事政権も、そうしたこの地域独特の「民主主義」の結果ではないかとも思っています。 以前、写真を出した交差点に掲げられるサヘル三国とロシアの旗、その横にある現大統領の写真は、トラオレという、クーデタで政権を奪取した30代の大統領の必死のプロパガンダに見えます。ニュースに出てこないことが多いですが、こちらの人びとの話を聞いていると、非常に強硬です。首尾一貫してテロリストに抗する姿、テロ、そしてこの地域の貧困の元凶であったフランスに明確にNOを突き付けた姿は、サンカラに模して受け入れられています。何人からか話が聞けたのは、トラオレ大統領就任後、 実効支配地域は 10%(60%→70%)上昇したことだったり、難民化した人びとが出身村に帰ることができるかもしれないという、肌感のあるテロからの解放の兆しでした。こうした、「強さ」や大統領の若さ、そして、フランスに対して真っ向から対抗していく姿は、当初から「サンカラ2世」の呼び声高く、圧倒的な支持を得る大きな要因の一つとなっていたことは間違いありません。今回は、明確なイメージ戦略(写真)も展開されていたのが印象的でした。 今回の...

50歳になりました

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誕生日のカレー 目出度いのかどうかもはやよくわからなくなりましたが、数日前に無事に50歳になりました。 ブルキナファソのおんぼろホテルで、壊した腹を抱えながら迎えた、ハーフミレニアムの誕生日は、何とも自分らしい、と思っています。家族からの誕生日メッセージ、FBからのメッセージ、大変感謝。一重に関わっていただけたすべての方のお陰でここまでこられたし、自分の力など、微々たるものであることを改めて感じています。 昨日も体調がすぐれず、調査を途中で切り上げてしまった。今日は実質的な調査最終日、誕生日のことより、今日一日の調査を乗り越えられるかが頭の一番大きな部分を占めています。 ともあれ、30歳で大学院に入って研究をはじめ、何とか20年続きました。まだまだ若くて血気盛んな30代、何とか「研究者」になれた40代、この先はどんな研究者になるのか、もしくは、全く違う道があるのか…抱負というのは、だんだんなくなってきているのですが、何か、日本とアフリカをしっかりつなげていくことが自分の仕事なのかな、という気はしています。学生によく言っている「「To be(何かになる)」ではなく、「To do(何をするか)」を大切に」というのは、今日の自分にも問いかけなおしたいと思います。 僕は、おそらくちゃんとした「研究者/文化人類学者」ではありません。どちらかというと、「男の子」がそのまま大きくなっただけです。だから、集中力がなく、いろいろなところに関心が移ろうし、人が行ったことがないところに行きたがるし、やったことがないことに飛びつくわけです。そのようなわけで、私の研究成果など、大したことはありませんが、自分のこれだけは、ということはいくつかあります。中でも、ブルキナファソという国にフィールドを拓きなおしたことは、この先、長く影響を及ぼすのではないかと思っています。偉大なブルキナファソ研究の先人に川田順造先生がいますが、川田先生は孤高の研究者で、お弟子さんでブルキナファソ研究を継ぐ方が現れませんでした。研究を始めた当初、川田先生がブルキナファソ研究者であることにピンと来ていなかったということもありますが、NGOでの勤務経験や旅行の経験があったこともあり、無神経だったくらいに図々しくブルキナファソの社会の中に入っていったように思います。これは勝手に思っていることなのですが、このフィールドを切り拓...

【科研費関連調査】ブルキナファソ20240809-19:① 今年のアフリカ渡航

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第2クオーターが終わりました。昨年に続き、オープンキャンパスから卒論の中間発表会、そして採点をしながらの原稿執筆、そのうえでのアフリカ渡航準備、というスクランブルな感じでの数週間。かなりの疲労感を感じながらも、アフリカ渡航はやはり楽しみ。 今回は8月9日~19日(11日)をブルキナファソでの調査、20日~9月3日(15日)をセネガルでの学生引率の予定。ブルキナファソの調査は博士論文提出前最後の調査であり、科研費申請の打ち合わせがあり、なかなか緊張感のあるもの。ただ、後半の学生引率で神経をすり減らすことを考えると、どこかで1日くらいゆっくりする日をつくらねば、とも思っています。 ともあれ、今回は何事もなく到着したので、軽い気持ちで調査のことをつづっていきたいと思います。 ****** (FBの投稿(20240809)をすこし改稿) ***** エチオピアエアー、機内食シリーズ。成田ーアジスアベバは名物のキムチ(インチョン経由だから?)かついているスタイルは変わらず。アジスアベバの先では、ライスがバスマティになっていたのが高ポイント。 とりあえず到着してお金を替え、シムカードを買った。これから少し予定を確認して、待望のワガメシです。 成田ーアジスアベバ便では時期的に誰かいるだろう、と思ってたら、やっぱり。研究関係者お二人とブルキナで知り合った国連勤務のご家族。アジスはアフリカ関係者のハブになりつつありますね。 引き続き、こちらもFBに投稿したものを少し改変して再掲します。 *****(FB20240811を少し改変)***** 調査初日。 恒例となっているイマームの事務所に「お詣り」。もう10年ほど調査の初日はイマームの元を訪れていますが、村に入るときに村長さんに最初に挨拶に行かねばならないように、このコミュニティに入るときには必ず通らねばならないのだと、勝手に思っています。いつものように、たっぷりと歓迎していただき、寿がれ、ありがたい限り。 今日は、イマームが買い物に出ていて、少し遅れるとのことで、待っている間、お昼ご飯をつくっていたスタッフの調理を眺めていました。この日は「テゲテゲ(ピーナッツソース全般)」。おそらく朝どれのほうれん草(?「エピナ」とは呼ばれていますが)やタマネギ、トマトなど野菜をたっぷり使い、そして、きっとわざわざ買ってきてくれていた鶏を一羽贅沢に...