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卒業論文(2023年度)

 2020年度に初めて迎えた学生が卒業論文を書きました。2020年度入学、2021年度に清水ゼミが始まり、私の初めての卒論生(7名)です。コロナ禍ど真ん中世代で、人と触れ合う機会が極端に少なかった学生たちで、昨日、合同で打ち上げたほかのゼミなどは連絡先すらしらない、という状態。ちょっと寂しい大学生活となってしまった感じがします。 その中では、比較的催し物が多かった清水ゼミは、ゼミ生間の連絡が多かったように思いますが、卒論追い込みの1,2カ月で、ゼミ生間の結びつきはさらに強くなったように思います。互いに励まし、ゼミ生間でアドバイスを送り合うなど、学生間のコミュニケーションが増え、介入し合う光景を見ていると、何とかコロナで失った分は取り戻せたのではないかと思っています。もちろん、学問を知るということは大切ですが、十代から二十代の感性の鋭い数年間、できるだけ多くの人とコミュニケーションをとることの大切さは、いうまでもありません。 あと数か月すると、それぞれ散り散りになっていきます。就職する学生、地元に戻る学生、行き先はバラバラですが、きっと久しぶりに会った時に、思い出話に花を咲かせることでしょう。卒論が仕上がったことも心安らかにさせますが、それ以上に、普通の大学生活を味わい、友情を深めた学生たちを見られたことは、大学の教員としての彼らに対しての責務を果たせたようで、気持ちが軽くなりました。

アフリカ・アジア現代文化講座(11月24日~)

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  直前のお知らせになりましたが、今年度も5回にわたり、「アフリカ・アジア現代文化講座」を開催します。今年度の統一テーマは、「グローバル化の中の日本語教育」です。 【講座の趣旨】 近年、日本でも多くの留学生が学ぶようになってきた。殊、グローバル化が進む中、留学先は欧米のみならず、中東や南米、アジア諸国にも目が向けられるようになり、少し前と比較しても、留学先は多様化し、また、それまで留学生の排出先でしかなかったいわゆる「開発途上国」の多くは、留学生の受け入れ先ともなるなど、その様相は日々変化の過程の中にある。また、日本は深刻な少子化による進学者の減少に伴い、国策として留学生の受け入れに積極的である。しかし、留学生の受け入れに際し、大学の国際化(=英語教育化)が喫緊の課題として捉えられている潮流を見て取ることもでき、決して「日本語」での教育を提供することには、必ずしも積極的ではない。こうした流れの中、今年度のアフリカ・アジア連続セミナーでは、日本語による教育、また日本語教育はどのような位置づけにあるのかを考えていきたい。 お申込みは⇓から。(この講座は有料となります。) https://caaccs.kyoto-seika.ac.jp/2023/11/17/%e3%82%b0%e3%83%ad%e3%83%bc%e3%83%90%e3%83%ab%e5%8c%96%e3%81%ae%e4%b8%ad%e3%81%ae%e6%97%a5%e6%9c%ac%e8%aa%9e%e6%95%99%e8%82%b2/

【映画】The Great Green Wall

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久しぶりに「映画」見ました。映画自体を見ていないわけではない(ドラえもんとか、クレヨンしんちゃんとか、鬼滅の刃とか…)のですが、ドキュメンタリータッチのものはなかなか見る機会がありません。久しぶりにちゃんと見られましたので、感想文など(これも何年ぶりでしょう)。若干ネタバレです。 旧知のミネコさんにお知らせをいただき、中野の ウナカメリーベラ さんで小さな小さな上映会がありました。 グレート・グリーン・ウォール とは、砂漠化の進むアフリカのサハラ砂漠南縁部(サヘル)地域に樹林帯を構築してサハラ砂漠の南進を防ごうというもの。セネガルからエリトリアにかけ、全長7000㎞とも8000㎞に緑地帯をつくる壮大な計画です。この計画は2007年にAU(アフリカ連合)の主導で起案され、現在は15%ほどが完成していると言われている。 この作品は、インナ・モジャというマリのミュージシャンが仲間を募りながら、セネガルからエチオピアまで移動しながら一枚のアルバムを作るというものです。途中、ローカルなレベルで活動する支援機関の人や農家、そして、国連の事務次官などとも対話を重ねながら、サヘルの現実と理想を考えていく、という作品です。 ここから感想を述べます。 ・この作品の存在意義として、「砂漠化」問題に目を向けさせた、という点で非常に意義深いものだということは言えると思います。私が「 砂漠化プロジェクト 」に在籍していた当時から、世論の砂漠化問題への関心の低さが指摘されてきており、こうしたマスに働きかける作品は歓迎されます。 ・どうもインナ・モジャというミュージシャンは、それほどマリでも有名ではないらしい(ミネコさん曰く)のですが、砂漠化という茫漠として重たい問題を、若者らしい視点から軽やかに語るのは砂漠化問題への取り組みのハードルを下げてくれたように思います。私が心の中で思っていたのは、We are the worldをオマージュしているのではないかと思っていました。 ・この作品で最も評価したいのは、ともすればインナ・モジャのプロモーション作品になってしまいそうだったのに、ちゃんと砂漠化問題のリアリティに正直に向き合っていたことです。ファンの方には申し訳ないですが、彼女たちが若すぎ、また、その音楽がまあまあであったおかげで、彼女の音楽性があまり全面に出過ぎずに、砂漠化問題の持つ政治性などもよ...

科学研究費「西アフリカのライシテと宗教性の連続性の文化人類学的研究」(基盤B/21H00651)

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  (トゥーバのグランモスク) 2021年度より「 西アフリカのライシテと宗教性の連続性の文化人類学的研究 」というテーマで科研費の研究助成をいただけることになりました。 科研のウェブサイトにも出ていますが、この研究の概要を次に示しておきたいと思います。 19世紀にフランスで確認された政治における宗教の不介在(ライシテ)は、現代社会では当然のものと認識されるが、ライシテ発祥のフランスにおいてすら、この原則から逸脱する事例が数多くある。旧フランス植民地の現仏語圏アフリカでもライシテはそれぞれの憲法に謳われているものの、社会救済性を是とするイスラームは、本来行政が担うべき、教育や社会福祉などの領域を肩代わりしている。ムスリムたちの日常実践の束は、近代化した宗教学校や、信仰NGOなどと呼ばれるムスリムによる中間集団を形成している。本研究では、これらをアフリカ的なライシテ-宗教性の連続体として分析し、現代社会の個人と宗教の在り方を考察する。 先日アップした学会報告の指摘でもあったように、まだ語句の不安定さや、問題の焦点化が甘いですが、すでに3年目に差し掛かり、そろそろこの研究課題なりの「答え」を出すことを考え始めねばなりません。 コロナ禍により、最初の1年間は現地調査ができませんでしたが、昨年から少しずつメンバーの海外調査も進められるようになってきました。そろそろ調査結果を集積し、成果を考え始めねばならない時期になりました。 また少しずつこちらで研究進捗などを報告したいと思います。

【再】「アフリカ納豆サミット」(11月11日)@京都国際マンガミュージアム

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アフリカ納豆サミット(11月11日開催)のポスターできました! まだまだ空き席ありますので、奮ってご参加ください! アクセス: 京都国際マンガミュージアム (クリックするとアクセス情報が開きます) お申込みは こちら からどうぞ。  

【学会発表】フォーラム:西アフリカのライシテ研究の可能性と課題(科研費(21H00651)研究成果)

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  また過去記事になりますが、2023年5月13日、14日にコロナ禍後はじめての対面でのアフリカ学会が幕張で開催されました。懇親会こそなかったですが、久しぶりに多くの方のお顔が見られ、また、この間の研究発表に接することができたのは僥倖でした。 さて、今回は、「西アフリカのライシテ研究の可能性と課題」というタイトルでフォーラム(集団発表)を組みました。メンバーは、私が代表者を務める科研費(「現代西アフリカにおけるライシテと宗教性の連続性の文化人類学的研究」(基盤B))の分担者の和崎春日先生(京都精華大学)、ウスビサコ先生(京都精華大学)、伊東未来先生(西南学院大学)、阿毛香絵先生(京都大学)と私の計5名。私たちの研究視座をアフリカ研究者はどのように見るのか、という点を確認し、次の議論につなげていくことを企図しました。 おそらく100人ほどのオーディエンスに恵まれ、お歴々からいくつかの大変重要な指摘をいただく。二つ紹介しておけば、ライシテの発話者とは誰なのか?(市民とはだれか、という問いを私なりに解釈)、もう一つは、ライシテと言うタームを使う意味とはなにか?ということ。その後、メンバーと改めてシェアし、この後の研究の展開を検討することにしました。 学会発表のアブストラクトは こちら(研究発表要旨集) からどうぞ。 そういえば、この科研費についての記事を挙げていませんでしたので、この次に科研費についての記事を挙げたいと思います。

「アフリカ納豆サミット」in「アフリ観マルシェ」in「アフリカマンガ展」@京都国際マンガミュージアム

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  2023年10月26日~2024年2月18日まで京都国際マンガミュージーアムで 「アフリカマンガ展」 が開催されます。セネガルのプログラムを一緒に担当しているユー・スギョンさんが主導の下、アフリカのマンガの展示が行われれるほか、アフリカから実際にマンガを描かれている何人かのマンガ家さんをお招きしてお話を伺います。 この展示のサブイベントで「アフリ観マルシェ」が11月11日に開催されます。ここのところしばしばご一緒している奥祐斉さん(@ ㈱Bona )と、このイベント中に「アフリカ納豆サミット」を企画しました。登壇者は 高野秀行さん 、藤原和也さん(@ ㈱藤原食品 )。どんなトークになるのか、現在仕込みをしているところです。 有料イベントになりますが、高いほうにお申込みいただけますと、Riz au Sounbalaの調味料セットをお土産でお渡しします。ご家庭でもアフリカの味をお楽しみいただけるかと思います。 奮ってご参加ください!

【出版】藏本龍介(編)2023『宗教組織の人類学 宗教はいかに世界を想像/創造しているか』法蔵館

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続けてもう一冊。2023年3月に出版された『宗教組織の人類学 宗教はいかに世界を想像/創造しているか』は、藏本龍介さんを代表とする科研費「宗教組織の経営についての比較民族誌的研究」(挑戦的萌芽、2015~2017)、「宗教組織の経営プロっすについての文化人類学的研究」(基盤B、2018~2021)の成果として出版されました。コロナの関係で、2022年まで研究プロジェクトは続き、この本は2022年度の発表となりました。 この本では、第5章「イスラーム教育の再創造 ブルキナファソのイスラーム教育機関を事例として」を担当しました。前回紹介した『SDGs時代にみる教育の普遍化と格差…』と同じ対象を宗教側から眺める、つまり、ブルキナファソ国家内の教育機関としてだけでなく、「より広い意味での組織の想像/創造プロセスを明らかにする」(216)という点を目指しました。宗教組織は、他の社会から分断されたユニークなものではなく、国家や社会と呼応しながら変容していくこと、そして、その変容はあるバランスの中で調整されるので、一方のみにすり寄ることはありません。そうした中で、外部者のまなざし、また、外部者的なまなざしを持つ人たちの考え方だけは所与のものとして、そこにあるのだ、ということを述べました。 第4章を担当した中尾さんがブルキナファソの宗教教育史を書かれているので、セットで読んでいただけるとブルキナファソの伝統教育のことがかなりよくわかるのではないかと思います。  

初心に帰り。

このブログを始めたのは2010年7月。約13年間、一応このブログを維持しているのだけど、ここ数年間はほぼ放置状態。FacebookやらX(旧Twitter)やらInstagramなど、他のSNSで忙しいというのもあり、就職して以来、えらく忙しくなり、授業の準備やら必要な文章を書くことに精一杯になってきて、Blogまで書く余裕がない、というのが正直なところでした。 ただ、SNSはそれぞれ使い方が固定化し、Facebookは情報収集と発信、生存確認、あとMessengerを頻繁に使用するのみで、プライベートを晒したり、というものではなくなってしまった。かなりビジネスユーズな感じ。Xも似たようなものでしょうか。とすると、自由に何かを書くスペースは、やはりBlogに限られてきてしまいます。こんなことを意識しながら、時々思い出してはいましたが、それでも忙しさに感けてしばらく手がつかなかったわけです。しかし、最近、何か自分の書く文章の文体や内容が固定化してきて、あまり面白くない感じがしていました。何か、こう血流が悪くて肩こりがしているような、と言えばよいでしょうか。楽しく書いていない文章は、きっと他人の目からもあまり面白く感じていただけないだろう…と思いつつ、いろんなところに書き散らかしていました。 このBlogを始めた当初、余りに文章を書くことが苦手でへたくそで、とにかく人に見せることを、できる限り書き直しをせずに書こう、ということを意識していました。果たして少しでもうまくなったか、と言えば、あまり自覚はないのですが、Blogに書くことはそれなりに訓練にはなっていたはずです。それと、普段からいろいろな文章を書くのは、スポーツで言えば、準備運動やストレッチ、基礎体力作りのために走ったり泳いだりするようなもの。頭を柔らかくし、書くことを常態化させる意味で、やっぱりこういうのも大切だな、と思い及びました。 こんな記事を書いたような記憶があるけど、改めて初心に帰ろうと思います。続くのかわかりませんが、まあここは私のわがまま空間なので、気のままに。

【出版】澤村・小川・坂上(編)2023『SDGs時代にみる教育の普遍化と格差 各国の事例と国際比較から読み解く』明石書店

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  しばらく紹介できていなかった業績を何冊か紹介します。 本書の(主)編集の澤村先生には、広島時代から非常にお世話になってきました。 科研費 の分担者として関わらせていただき、この本はこの成果物になります。内容についてはタイトル通りですが、特に序章と終章を読んでいただければよいと思います。大変すばらしい問題提起とまとめになっています。 この序章と終章は小川さん、坂上さんという、大変若い研究者によって書かれています。この科研プロジェクトが始まる際に、澤村先生はご挨拶で、「最後の科研」ということを何度かおっしゃられており、いわば世代交代がこの本を通じて行われた、と言ってよいかと思います。お弟子さんお二人に編集の澤村メソッドを伝え、二人が最前線に出ていくお膳立てをした、比較教育学の儀礼的な意味を持った本であることは間違いないでしょう。 私は、この科研費の中ではトリックスター的な存在だと思っていて、前著(『発展途上国の困難な状況にある子どもの教育』)でも、少しズレた視点を提供することを意識しました。今回も、この本で語られる「教育」を西欧起源の「学校教育」と捉え、必ずしも西欧起源であるものを普遍化するのではなく、土着の教育、宗教教育を含めた新たな教育を考えねばならない、という視点から論を展開しました。もちろん、非現実的であることはわかっていますが、特に研究者はこうした少し広い視点も持っていてほしい、というささやかなメッセージを発信したいと思っていました。 大きな本ですので、ご関心のある方は、ぜひ図書館にお問合せください。

学内公開講演会「現代アフリカにおける宗教の多様な諸相 「マダガスカルのライシテ」と日系新宗教」上野庸平氏

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またずいぶんブログを放置してしまいました。ほぼすべてのSNSが開店休業状態。適度に忙しいのは良いことですが、4月以降少しは状況が改善したものの、6月から9月にかけてはとんでもないことになっています。まあなんとか元気にしています。 さて、なぜ突然ブログをあげたかというと、ブログの使い方を忘れないようにするためというのと、この講演会のログを取っておくためでした。ここでは公開していますが、「直接いらしていただいても」入れません(意味わかりますよね?)。というか、こんなに久しぶりだと誰も見てないか… どこかのタイミングでこの間に出版されたものなど、上げたいと思います。