「調査」
「調査」、僕ら人類学徒が日常的に使い、毎日、何回も頭をよぎる言葉ではある。 一応、今、僕もこの「調査」のために、この埃っぽいブルキナファソにいる。毎回の「調査」前に「調査」計画なるものをこのブログにものっけているのだが(恥知らずにも!)、今回はいつもと少し違う、「調査」屋としての「調査」に来ている。 これまで、「都市」という大きなテーマで「調査」を行ってきた私が、何やら環境という枠組みの中で「調査」を行うことになった。ある組織の中で行っているのだが、パートナーは開発系バリバリのスタッフ。仕事はとても丁寧で、気も優しく、僕とはまるで正反対。ただ、飛んでくるメールの量は半端ではない。「仕事」という中で行われている「調査」だということがヒシヒシと伝わってくる(僕の「調査」は限りなく趣味に近い気がする)。 「調査」で何か、人の本音のようなものに接している、と感じる人類学者、こういう仕事的「調査」には、微妙に拒否反応を示すことがある。パッと来てパッと「調査」をして、パッと帰る。たぶん、そのあとに本音や秘密がある、と感じてしまう。そこが大切なのではないか…でも、そんな悠長なことを言っている場合ではないらしい、という、日本の理屈もよくわかる。 日々葛藤… 優しいパートナー氏には申し訳ないけど、この「調査」を身体化するにはもうしばらく時間がかかりそうです。