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吉兆?!

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到着翌日から早速仕事に掛っている。 初めてブルキナを訪れた98年、熱射病で生き倒れになっていた僕を救ってくれたSさんと上司のNさんと合宿生活。急にサイト変更になったにも関わらず、Sさんの手配のおかげで、この2日間、予定通りにことが運んでいる。 今度のサイトは、西アフリカで唯一野生の麒麟が見られるという地域。Sさん+Nさんと早速出かけた行きと帰りに両方ともで発見。もう2年もこちらにいるSさんはこれまでに1回しか見たことがないとか。 縁起のよさそうな動物だけに、プロジェクトも自分のなんたらかんたらもうまくいくんじゃないか、という、都合のいい解釈をして少しハッピーになる。しかし、帰りは親子連れの7頭を発見し、本当は別に珍しくないんじゃないか…とか思ってしまったり。 あちいけど、なんとか元気に過ごしとります。

忘れ物。

出発前日。研究室の方々をお招きして食事。7月のパーティの打ち合わせ。ときどきある、出発前夜の大宴会の様相を呈し、酒を飲みながら荷造りした。 まあ、忘れ物の一つや二つ…と思ってはいたけど、空港で僕の命の次の次の次の…に大切な耳かきを忘れたことに気づき、見送りに来てくれた嫁に買ってきてもらう。それで、カメラの充電器やらハウサ語のテキストやら、結構忘れ物が多い。 少しブルーなパリ。 でも、気候がいいので、これから爆睡する。カメラはどうしようもないので、バッテリーが持つ限り撮る、それだけ。

学会を振り返る。

学会が終わった。 確かにここのところの一番の大仕事。ずいぶんたくさんの方に発表を見てもらって、たぶん今までで一番丁寧に作れ込めたものだったけど、結果は…なんか微妙だ。研究室の方もたくさん来てくれて、ずいぶん改良されたのに気付いてくれて、「分かりやすくなった」と言ってもらったし、親しくさせていただいている方からも、会場で質問、ご意見をいただき、それがありがたくて有意義だったのだけど… 課題点は、子どもたちの声が聞こえない、ということが一番大きい。理論フレームは古いものだけど、今でも十分に耐えられるもの、言いたいことは、言説にとらわれてはいけない、ということだけど、僕の発表自身がそれを乗り越えられていない。時間の問題もあるけど、本当のところは少々データに自信がないため。今後の課題、としたいところだが、件の暴動の影響で今年度は少々入国することすら難しそう…今までの資料を整理しながらなんとかしないといけないかな…と思っている。これは、これから考えよう。 割と舞台度胸はいいはずなのだが、ここのところ、学会では準備をすればするほど緊張する。ジメッとした気候のせいもあるだろうけど、発表中、一人で滝のような汗。これはこれで以外に凹んだ(笑)。 今回の学会では、僕は「子どもグループ」に入れてもらったみたいで、僕の後に3人の子ども発表が続く。一人は、研究室の同僚ですでに耳にタコができるほど聞いているので、他に聞きたい人の発表を聞きに行ったけど、懇親会での意見交換はずいぶん勉強になった。人類学の子ども研究は目の前にあるものは目を通したけど、子ども環境学会とか、子ども社会学会といった学会もあるらしい。また、理論もずいぶんいろいろあるようで、これからもっと勉強させてもらおうかと思う。 後は、今年2度目を迎えた若手研究者懇談会。とてもいい試みで、去年から学会長をされているW先生との親和性も高く、学会が非常に活気づいた印象を持っている。今年は、震災を被災された若手研究者の話のシェアリングが中心だった。研究者の中にも、何人もがボランティアなどを行った、という報告もあった。いいことだと思う。 このシェアリングでは、人類学者に何ができるか、どう動くべきか、と言った議論が中心にあったと思う。ある方は、「有形・無形の文化財の保護も今我々に可能な大きな仕事」といい、「行動よりも今こそ考えるとき」といったよう...

新天地へ。

ぎりぎりまで粘った。外務省の危険レベルが下がるタイミング、あとは現地の情報をすり合わせ、なんとかブルキナファソでの活動の継続を目指したが、危険レベルが下がる直前に再度大規模な衝突が起こった。結局、ワガドゥグで利害関係のない友人の話で、現地の人間が「保障はできない」とのことで、あきらめた。 そんなわけで、今年度中のブルキナファソ渡航は少々難しくなったが、その代わりにとなりのニジェールへの渡航が決まった。仕事自体は、去年の年末から行っていた、社会調査をニジェールでやり直す形になったが、新たな場所での新たな出発。後ろ髪をひかれつつ、少し楽しみだ。来週、16日の出発。約20日間の滞在。最後の1週間はほぼ自由行動。 ある意味調査難民になったので、少しでも何かを学べるといいと思う。

あぁ眠い…

今週が終われば少しは落ち着く…学会の準備、もうひと踏ん張り。先週のゼミでたたいてもらい、今日もいろいろ見てもらった。濃密な時間だったけど、昨日はほとんど寝ていないので、今晩は適当に寝ます。 何書いてるかもよくわからじ…

「忙しい」と感じてしまう怠惰な日常。

1週間もブログ更新できず。 あれとこれと…とか、この間にやっていたことを挙げればいちいち自分に理由はつけられて、別に眠っていたわけではないのだけど(むしろ睡眠不足で苦しんでいた)、一言でいえば、普段の怠惰な生活が祟っただけ。 それにしても、よく考えると、「忙しい」と感じることは両義的だ。 忙しいのは、人に必要とされていたり、やらねばならないことが多いということで、人間が社会的な動物である以上、それほど不幸なことではない。キリスト教的な「休息日」というのが導入されて、僕らには「休息」が必要になったのだけど、殊に農耕を主な生業にしてきた僕らにはさほど「休息」がないことで不幸には感じないはずだった。そして、もう一方で、人に必要とされ過ぎたり、やらねばならないことが多い時、字の如し、「心を忘れる」。いらいらする、とか、いわゆるストレスがたまる。 でも、していることが多くても、「やりたいことをしている」の場合は、そうでもない。そして、「やりたいこと」は、簡単に決まらない。「やりたい」と興味を持つまでに、それなりに「やらねばならないこと」をこなさなければならない。 はたして、怠惰な僕は、この間、心を忘れてしまっていただろうか。

発表@文化人類学会(2011.6.11-12、法政大学)

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気がつけば5月も残すところ1日。この季節学会シーズンで、研究室もいつもよりもあわただしい。 今年は、先々週弘前で開かれたアフリカ学会は欠席した。遠い、ただそれだけだったが、こんな機会でもないとなかなか行けないところだったので、少し後悔している。 毎年一回は生存確認のためにもどこぞで発表しよう、ということで、今年は文化人類学会でやることにした。2007年以来だから、もう4年も発表していないことになる。 提出した発表要旨はこんな感じだが、なかなかまとまらず…これを書いたとき、どんなこと考えてたかな…などと思いだしつつ。 ******************************************** 都市のはざまに揺れるイスラームと少年 ワガドゥグのタリベと「ストリート・チルドレン」の関連性について 1960年代のフィールドワークを通してSkinnerが喝破したように、ワガドゥグは、西アフリカ内陸部という、イスラーム文化圏の中央にありながら、「キリスト教的なイスラーム都市」(Skinner1974)である。ワガドゥグは西アフリカのイスラームに特徴的な、スーフィー教団の影響が少ないことや、1950年代からアラブ諸国の布教支援を受けたこともあり、いわゆるマラブー崇拝もほとんど行われおらず、表面上は極めてオーソドックスなイスラーム信仰が行われている。  こうしたイスラーム都市、ワガドゥグにおいて、2000年前後から「ストリート・チルドレン」が急激に増加した。1990年中盤に調査を開始した当初、「ストリート・チルドレン」は、ワガドゥグ市全体で80人ほどと報告されていた。しかし、「ストリート・チルドレン」や少年・少女の強制的な移動に対応した活動をするローカルNGO、KEOOGOの2009年の報告によれば、その数は8,063人と100倍もの数になっている(KEOOGO 2009)。  本発表で注目するのは、このうちの半数以上の5,943人を占めるタリベTaribéである。タリベは従来、イスラームを学ぶ者を意味し、ワガドゥグでは、従来のタリベの定義よりも少し狭く、コーラン学校の生徒、という認識が一般的である。つまり、「ストリート・チルドレン」とタリベは等しいものではない。しかし、この統計を見ただけでも、NGOはタリベの増加が「ストリート・チルドレン」...