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発表@文化人類学会(2011.6.11-12、法政大学)

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気がつけば5月も残すところ1日。この季節学会シーズンで、研究室もいつもよりもあわただしい。 今年は、先々週弘前で開かれたアフリカ学会は欠席した。遠い、ただそれだけだったが、こんな機会でもないとなかなか行けないところだったので、少し後悔している。 毎年一回は生存確認のためにもどこぞで発表しよう、ということで、今年は文化人類学会でやることにした。2007年以来だから、もう4年も発表していないことになる。 提出した発表要旨はこんな感じだが、なかなかまとまらず…これを書いたとき、どんなこと考えてたかな…などと思いだしつつ。 ******************************************** 都市のはざまに揺れるイスラームと少年 ワガドゥグのタリベと「ストリート・チルドレン」の関連性について 1960年代のフィールドワークを通してSkinnerが喝破したように、ワガドゥグは、西アフリカ内陸部という、イスラーム文化圏の中央にありながら、「キリスト教的なイスラーム都市」(Skinner1974)である。ワガドゥグは西アフリカのイスラームに特徴的な、スーフィー教団の影響が少ないことや、1950年代からアラブ諸国の布教支援を受けたこともあり、いわゆるマラブー崇拝もほとんど行われおらず、表面上は極めてオーソドックスなイスラーム信仰が行われている。  こうしたイスラーム都市、ワガドゥグにおいて、2000年前後から「ストリート・チルドレン」が急激に増加した。1990年中盤に調査を開始した当初、「ストリート・チルドレン」は、ワガドゥグ市全体で80人ほどと報告されていた。しかし、「ストリート・チルドレン」や少年・少女の強制的な移動に対応した活動をするローカルNGO、KEOOGOの2009年の報告によれば、その数は8,063人と100倍もの数になっている(KEOOGO 2009)。  本発表で注目するのは、このうちの半数以上の5,943人を占めるタリベTaribéである。タリベは従来、イスラームを学ぶ者を意味し、ワガドゥグでは、従来のタリベの定義よりも少し狭く、コーラン学校の生徒、という認識が一般的である。つまり、「ストリート・チルドレン」とタリベは等しいものではない。しかし、この統計を見ただけでも、NGOはタリベの増加が「ストリート・チルドレン」...

ブルキナファソ政情11

落ち着いた、と思ったら、ダメでした。暴れ癖がついてきてるのか、給料が安い、というので、「俺も俺も…」状態。 しかし、今回の内閣はずいぶん筋目がはっきりしているように思う。簡単に暴徒化してしまいそうな軍や警察に対しても、「個別に対応するのではなく、社会全体の安定のために政府が一丸となって動き対話を進めている。現時点で軍の指揮系統に沿って吸い上げている要求以外は承知していない。」(RFI、5月24日付(3))と。 一進一退が続く情勢。だが、時間は待ってくれない。おそらく、私が参加するプロジェクトもサイト替えの可能性があるだろう。外国のプロジェクトはこうやって離れていかざるを得ない。まあ、ただ一つ、小さな小さなプロジェクトだが、これを頼りに生活を考えている人間もこちらにも向こうにもいるわけで…権利の要求は正当な運動だけど、暴力に訴える方法は如何ともしがたし。 またもや大使館情報から以下に抜粋。いつもお世話になります。 ****5月24日付***** 当地治安情勢につき,以下のとおりお知らせいたします。 1.国民衛兵隊(Garde National)の威嚇発砲 5月23日(月)20時頃、市内パスパンガ地区に所在する国民衛兵隊(式典等で国歌等の演奏を行う音楽隊)の駐屯地内で威嚇発砲が発生したところ、外電等の報道も含め各種情報のとりまとめ以下のとおり。 (1)国民衛兵隊の兵士の一部が、大統領府治安部隊(RSP)と同期入隊であるにもかかわらず、RSPが獲得したような手当が国民衛兵隊には支給されていないことを不満に思っている。RSPは給与明細には記載されていないが月末に「名誉手当(Prime d'honneur)」といわれている手当を支給されており、国民衛兵隊にも支給するよう要求した模様。 (2)威嚇発砲は数分続き終了したとも(仏国際放送RFI)、断続的に深夜まで続いたとする(ロイター)報道がある。不満兵士は接収したバスを使って隣接する大道路を封鎖し、当該駐屯地周辺は交通に混乱が生じたが、負傷者は発生していない模様。 (3)政府報道官はRFIのインタビューで「個別に対応するのではなく、社会全体の安定のために政府が一丸となって動き対話を進めている。現時点で軍の指揮系統に沿って吸い上げている要求以外は承知していない。」と述べた。 2.中・高等学校等教員のストライキ (1)23日...

読み直す(『サバンナ・ミステリー』川田順造)

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ずーっと前に読んで、分かった気でいたこの本。ゼミの課題文献となった(にしてもらった?!)ので、再読した。 言い方は悪いですが、世界的な文化人類学者というか、歴史家、というか、とにかく何でもできる先生がとうとう行ってはいけない領域に達したことを書いた本、と認識していた。で、本当にごめんなさいでした。本当に「歴史」とはなんぞや、ということが分かりやすく書かれているし、ちゃんと川田先生も自分の情報の出し入れに悩んでるんだな、と。 実は、川田先生とは、何度か学会なんかで拝顔している。 最初に言葉を交わしたとき、名古屋で行われた学会だったが、あまりに緊張して、自分がブルキナファソをフィールドにしているなんて言えず、段差の多いうちの大学で、「段差、気をつけてください」とか言ったら、「私はそんなに老いぼれてないよ!」って怒られた。その後、仲良くしてもらっているTさんに紹介してもらい損ね、結局、研究を始めて以来まともに言葉を交わしたことがない。 まあ、そんなことはいいのだが、とりあえず目の前のやることが終わったら、やりたいのがヤルセの歴史。こちらもモシと同じく口頭伝承の世界。しかも、言葉を失った民族の。間主観的に(私は通時的かつ共時的に、つまり3次元的に…と読んだが)、編み込まれていくのが「歴史」とする川田先生のこの歴史認識は、今では当たり前に知っているのだけど、この人が言うからより説得力を増すのだな、と。 最近、あまり川田先生の文献にあたっていなかったけど、もう一回一通りじっくり味わってみたいものである。

『環境・災害と向き合う地域づくりを目指して』

木曜日、久しぶりに シンポジウムに参加した。 『環境・災害と向き合う地域づくりを目指して』 という題目で行われたもので、フィリピンの高校生ダンスグループを招き、フィリピンで活動するNGOの反町さん、フィリピンを主なフィールドとする人類学者、清水展さん、そして、今回の震災で活躍するNGOの関口さんと高校教師でありながら「愛知ボランティアセンター」の所長を務める久田さんの4名がプレゼンテーションを行った。 まあ、多少無理のある組み合わせなような印象を持っているのだが、フィリピンのピナトゥボ火山の時の災害や、災害と言えば戦争災害(日本軍の長期間にわたる駐留が行われたフィリピン)もあるのだな、ということは一つの発見だった。 ともあれ、そこは司会の亀井さんがうまくまとめていたし、それぞれ、久しぶりに聞くNGOのトーンや、今回の震災の生々しい活動体験はとても興味深いものだった。 中でも一番興味深かったのは、久田氏の数々の発言だった。阪神淡路大震災で親を失った子どものために、現在に至るまで毎週栄で募金を募り、その思いとおカネを届けているとか。もう17年になるという。そして、久田氏自身のその時の経験、つまり、荷物が届けられても仕分けがされていなかったために、現場が混乱に陥り、モノが被災者になかなか渡らなかった、という経験から、名古屋で仕分けまでやり、それを被災者に届ける、というシステムを採用した、という。たしか、テレビ番組にも取り上げられていた。 そして、久田氏は聴衆とステージに挑発するように言う。この週末、バス7台を編成して高校生のボランティアを現地に送り込む。だが、「大学(生)には期待していない」。 この久田氏に関しては、一方で感心し、一方で少々このラディカルな活動スタイルに疑問をもった。人類学会でも、多くの研究者が今回の震災について語り、非常に重く受け止めているのに、誰か現場に行ったのか?私も含め、今のところ、私はその存在を知らない。その意味で、いち早く現場に赴いて、その状況に基づいて活動を展開している久田氏のグループは、まず、現場を語る権利を持っている。ここまではっきりとモノを言いきる、また、現場に則して活動を展開する行動力、洞察力、また、それを支えるボランティアを集める人望、全く脱帽せざるを得ない。 しかし、私は、この人は古典的活動家だと感じた。久田氏の前に話をした、関口...

ブルキナファソ政情その10

「便りがないのは無事のしるし」…しばらく新聞などにもほとんど記事が載っていないかった。14日付で、ポで再び威嚇射撃という報道は見たが、その原因は以下の通り、給与の払い忘れ。ここへきてけちることもないだろうから、即日支払いが行われたようだ。 そして、ようやく夜間外出禁止令が解かれた。落ち着きを取り戻した証拠だろう。少しずつ日常に戻っていく。 ************************************ 1.当地新聞報道をもとに総合した,14日(土)のポー市での威嚇発砲の顛末は以下のとおりです。   ●14日(土)16時頃,不満兵士はポー市内の憲兵隊詰め所に集合し,その後市内に散っていった。18時頃,上空に向けて威嚇発砲を始め,翌15日(日)の朝5時頃まで続けた。水道公社,公的機関の車両が兵士によって接収された。  ●威嚇発砲をした兵士は,ポー市の駐屯地(エリート部隊、特殊部隊訓練施設と士官養成の軍アカデミーが併設)の教官兵士。威嚇発砲を行った理由は,4月の騒動時に「訓練手当(兵士の訓練を行うことによる手当)」を支給してもらうよう要望し,認められたにもかかわらず,給与明細を見たところ,約束された訓練手当が入っていなかったことによるもの。  ●16日(月),フランス国際放送(RFI)のインタビューに答えたトラオレ政府報道官は,「訓練手当(Prime de Formation)が支払われていなかったので,直ちに支払い,兵士達は駐屯地に戻った。再度同様のことが発生しないように望む。」と述べた。 2.16日(月)から,夜間外出禁止令が解除されました。

ワイシャツ

久しぶりにワイシャツを着た。普段は研究室に籠っているので、大概ジーンズで、過剰に天然ヒートテックをまとっているので、そろそろ短パンの季節だ。 生活も着ている物同様本当にラフだし、自分の都合でほぼすべてが動いている。だが、たまに、びしっと予定がつまることがある。 昨日がそうで、外部の方に会い、研究会の打ち合わせをし、学会発表の予行演習に参加させていただいた。会社に勤務していたときはこの程度は普通だったが、この数年間のダラッとした生活のせいか、ずいぶん気持ちが張り詰めた。外部の方にお会いするというのもあったが、ちゃんとワイシャツくらいは着よう、ということで、朝から着てみた。気持ちもパリッとする。 たまにはいいもんだ、と思いつつ、そろそろ少しはきちんとした格好をせねばならんな…と。

『コクリコ坂から』

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もうずいぶん時間がたってしまったが、連れのたっての希望で『コクリコ坂から』におつきあいした。最終的に、とてもよかったのっだけど、。 内田樹氏は、Twitterで『コクリコ坂から』の主題を「「パターナリズムの消滅」です。1970年に日本の父たちは生身を失って、あとイデオロギーだけが残るのですが、63年の父親たちはまだ「生身」を残していたのでした。」(Twitter 2011.8.17)と評している。内田樹氏の深遠な思考の世界は凡人の私には理解できないし、この時代を知らないので、映画評として少し書いてみたい、と思って駄文を編むことにした。 第二次世界大戦が終わり、その傷跡を残しながらも、復興に向かう日本、横浜が物語の舞台だ。粗筋は書かないが、戦中に船乗りだった父の帰りを信じる高校生の女の子、海、彼女の祖母が営む「コクリコ」荘 一応、大学生時代の4年間を横浜で過ごし、会社員時代 時代は人の人生の下敷きとして描かれそうなものだが、この『コクリコ坂』は、それらが並列に描かれているように見えた。どのセリフ、というのではないが、全体的な雰囲気として。