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11月, 2024の投稿を表示しています

通勤路にて

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2012年に京都に住み始め、途中3年間は別のところに住みましたが、通算で間もなく京都生活も10年となります。今の住まいに住み始めて4年目になりましたが、毎日大体同じルートで通勤をしています。 約30分の自転車通勤。とにかく上り坂の少ないルートを選ぶのですが、最もアップダウンの少ないのは、住宅地の中を縫っていくように走るルートです。それでも、そこは京都で趣向を凝らした住宅を見ながら走るのも楽しかったのですが、数年前、仕事でいろいろあって気持ちがふさぎ込んでいた時に道を変えてみることにしました。 何のことはなく、北大路通の高野川の橋を渡り、高野川に沿って北上する、というルートです。ほんの少しのデビエーション。その時に見える景色が下の3枚の写真です。雄大な比叡山、光る水面、そして大きな空。京都の北の方に住んでいると割と普通の景色だと思いますが、クサクサした心に突き刺さり、以来、このルートを好んで通勤路にしています。 ほんの数秒立ち止まり、比叡山を眺めてから、時に、写真を2,3枚とってからペダルをこぎだします。写真はもう100枚くらいは溜まったでしょうか。比叡山の定点観測ですね。 通勤路から比叡山を望む(11月27日) 通勤路から比叡山を望む(11月26日) 通勤路から比叡山を望む(11月17日) 下の写真も「定点」近く。春は桜吹雪、秋はこんな紅葉に囲まれながらの通勤路は、運動不足解消のために始めた自転車通勤を続ける動機にもなっています。 秋も深まってきました  

【日本のアフリカン・レストラン】④「Amaging Grace」@草加(ガーナ料理)

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日本のアフリカン・レストラン3軒目。 Amaging Grace @草加市です。こちらも前回のセブンスターと同じく比呂さんのご紹介なのですが、今回は比呂さんとご友人方ともご一緒させていただきました。ちなみに、比呂さんは Ethnic Neighborhood というYoutubeチャンネルを作られています。 東武スカイツリーライン新田駅から徒歩5分ほどのところにあるAmaging Grace。店内には、テーブル席が4つほど。我われ3名が到着した時には、まだ誰もおらず来店1号。 メニューを眺める。いわゆるガーナの定番料理が並んでいるのですが(これがガーナ人が喰いたくなるやつという理解ができた)、とりあえず、食べたことのないものを少しずついただきましょう、ということで、トゥオザーフィ(TZ)とワチェ、ケンケを注文。 ケンケ ケンケは何度かのガーナ滞在の時にも食べましたが、改めて食べてみて、ドンクヌであることを再確認。ベナン、ブルキナと食べ方もほぼ一緒。ブルキナ民としては、魚が大きいのが違和感(うらやましい)ですが、やっぱり海魚が合うのですね。旨いです。ちなみに、ケンケは2階のガーナ食材店で買っていきました(500円!)。 ワチェ(スパゲティの下) 比呂さんの Ethnic Neighborhood でも紹介されています。比呂さんからは、赤飯みたい…と聞いていて、おそらく ベンガ のことだろうと思っていましたが、ビンゴでした。豆も2階のショップで売っていましたが、ササゲですね。ほかのウェブサイト(大体自分が行ったところの名物料理的な書き方ですが、一様に北部(タマレとかワとか)ということも書いてあった)にも、書かれているように北側でよく食べられる、ということは、ブルキナなどとの繋がりあり、と見て、同じものと思っています。 正直なところ、これは旨かった…シトと呼ばれるペーストがあるのですが、これがつくだけでかなりいろんなものが食べられるのですが、これとゆで卵がついて、豪華な感じのするベンガでした。これ、ブルキナに持って行ったら売れると思うのですが。 TZトゥオザーフィ そして、トゥオザーフィ。これも念願でした。これは「ト」ですね。トは何回もこのブログに書いていますので、以下の記事をご参照ください。 https://cacaochemise.blogspot.com/2014/...

【日本のアフリカン・レストラン】③「Seven star international」@草加(ガーナ料理)

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入口写真 埼玉県草加市。この街にアフリカ料理店が5店舗ほどあると言われている。少し前に「ぐるなび」で「アフリカ料理」と検索してGoogle Mapに落とし込んでみたことがあるのだが、都内のよく知られたレストランを除けば、かなりの部分が埼玉県に存在している。ちなみに、関西には非常に少なく、京都に至っては、伏見区に一軒、タンザニア料理店がある程度。とにかく、アクセスしにくい。 今回は、埼玉県東松山市で開かれたセネガルコミュニティの月例Dahiraに参加したのち、草加に移動、ここのところ仲良くさせていただいている比呂さんに教えていただいた Sevenstar international へ。  店内は、カウンター6席ほど、4人掛けのテーブル席が5つほど。カウンター横には、アフリカの食材が積まれている。 この日、僕が店に着いたのが19:30ころ。すでにテーブル席は満席、カウンターには2人の女性が大声で談笑しており、その隣に食事をしている男性がいた。すべてアフリカ系の人たち。全てのテーブルに料理が出されており、客はいるが、店員の男性(おそらく店長)はそれほど忙しそうではない。カウンターの隙間から見えるキッチンには、3名の女性が見える。調理を担当しているのだろう。 店長と思われる男性に、メニューを聞くが、心は決まっている。久しぶりのガーナ料理ということもあり、ここは定番のライト・スープ…頼んではみたものの、実はその直前にセネガルコミュニティでチェブ・ギナールをいただいてきている。ちゃんと喰えるのか… 着丼(?)。 フフーは大人のこぶし二つ分くらいのかなりの大振り(ガーナの通常サイズ)。そしてライト・スープには、臓物と肉がゴロゴロしている。日本基準だと2人前は軽くある。フフーはヤムパウダーっぽい味がしたが、ライト・スープはなかなか(と言っても、それほど味の規準があるわけではないのだが…)。それでも、遠い記憶で、スープを口に運んだ瞬間に汗が噴き出したライト・スープを思い起こすと、若干日本向けか。店は完全にガーナ人向けだが。ともあれ、節度のある辛さ、といったところ。 移動からの調査、夕飯2食目、と言ったところで、テンションが上がりきらず、店長氏に話がほとんど聞けなかったが、とりあえずガーナ料理を思い出す、という最低限のミッションは完了。

【セネガルプログラム】ゴレ島:15年の時を超えて

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ゴレの日の出:学生たちと朝から海に行きました 2007年3月、修士論文を書き上げた私は当たり前のように博士課程に進むことにしていました。後に酷いケンカをしてしまいましたが、某先生の心遣いにより、セネガルに渡航することとなりました。これが私のセネガルとの出会いでした。 セネガルに渡航する際、どのようなことを見に行くのか、本や新聞記事を読みながら、セネガルでどんなことをするのか、ということを思いめぐらしていました。それまでブルキナファソで進めていた、ラスタマンについての研究をセネガルに派生させる形で、セネガルにもう一つフィールドを作るようなイメージを持っていました。そのような訳で、私の最初のそして最大のミッションは、セネガルでラスタマンに出会うことでした。 今、考えれば、当時の無知(もっと勉強してから行けよ!)が小恥ずかしいですが、セネガルに「ラスタマン」はいない…が、ラスタマンのような人たちはたくさんいる、つまり、ムーリッド、バイファルがそこらへんにいるのでした。 初めての滞在中、様々な人に「ダカールにラスタマンはいるか?」と尋ね続けていると、しばしば「ラス・マハ」というラスタマンがゴレ島にいるらしい、ということが分かってきました。そして、確か滞在も終盤に差し掛かったころ、ダカールで知り合ったバックパッカーの青年とゴレ島を訪れ、ラス・マハの営む宿泊施設に泊まり、深夜2時までラス・マハと植民地主義について語り合ったのでした。 ラス・マハ それから15年。昨年のプログラムの際に再開を果たし、その時に約束した通り、今年度ゴレ島に宿泊し、ラス・マハと学生たちと濃密な時間を過ごすことができました。奴隷の家でのラス・マハの解説は、きっとどのガイドさんよりも熱いものだったと思いますし、宿泊先として用意してくれた一軒貸しの家も素晴らしく、環境についてのワークショップも最高でした。 夏のプログラムの報告をだらだらと書いてきましたが、そろそろセーターが必要な季節になりました。これで一区切りとしたいと思います。このプログラム自体は、大学のカリキュラム変更のため、今年がほぼ最後ではないかと思います。アフリカ界隈からは、暖かい目で見守っていただき、アフリカと日本の実質的な架け橋として、たくさん応援もいただいていただけに、4年で終わってしまうのは残念です。しかし、なかなか良い経験でしたし、大きな...