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【食文化シリーズ】ジャカルタのホテルの朝食

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20160723@Century Hotel, Jakarta 東南アジアのちょっと高いホテルの朝食は大概食べ過ぎる。バイキングであることが多く、アジア飯とパン食、さらに中華系がモリモリと盛られている。 インドネシアと言えば、ナシゴレンとミーゴレン、あとはサテーくらいしか思い浮かばないのだけど、間違いなくそんなことはなくて、肉魚介は豊富なはずだし、フルーツも少ないわけがない。パンとかはとりあえずおいておいて、やはりインドネシアなりの味付けや食材の使い方を見たいと思い、できるだけこんな盛り方をしている。 まず左のスープから。このホテルの朝食で一番ヒット。ココナツミルクと、鶏スープ、もしかすると魚介系のスープが混ざっているかもしれない。塩気はどうやってだしているのだろう?中華醤油とか、ニョクマムのような臭みは感じないのだけど、もしかすると、ニョクマムを煮込むとこんな風になるのかも。実にマイルド。具材には、もやしやトーフ、鶏肉など。これに、ネギと焦がしニンニクを添える。 それで、今朝のジュースはグアヴァ。これは大したことなし。砂糖たっぷり。 プレートの方なのだけど、多すぎるので、気づいたことを少し。 まず、トーフ使いがとても面白くて、カレーやハッカク+醤油の煮込みにも入っている。多くが揚げてあって、厚揚げ状態なのだけど、油を使っているのに日本のものよりもずっと軽い。他に、はんぺんのようなものがあるのだけど、これは魚のすり身か、はたまた、トーフを使った何かか…微妙にわからなかったけど、ビールと一緒に食べたらうまいだろうな、と。 しかし、東南アジアの調味料、最近でこそニョクマムが広まってきて、親しみがあるように感じるけど、実はよく知らない。スープの塩気、しょうゆを使ったら、きっともっと色が真っ黒になるだろうし、なんか別のものなんだろうな、と思う。少し調べてみないといかんです。 同行の先生との折り合いで、まだほとんど現地飯が食べられていないのだけど、次の目的地、バンドンでは「飽きるほど」のことにて、それを楽しみに。 にほんブログ村

Fly to Jakarta

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いつのころからか、飛行機に乗ることが楽しみになっている。機材や乗り心地、いろんなことに関心がでてくるにしたがって、最も仕事ができて、映画が見られて、音楽が聴ける、だれにも邪魔されない貴重な空間になってきた。 前回のエントリーはちゃんと愚痴になっていたのだろか。なんか少し気分は楽になった、というか、ある諦めを自分にしみこませるように、努力をしているところ。どうも、あんまりMy Revolutionな気分ではない。 自分の心の在りかのいかんにかかわらず、時間は過ぎて、あっという間にインドネシア渡航となった。今回は、10月~11月にかけての所属先の準備のための渡航だ。 広島から羽田へ。羽田で一泊して、いざ南へ。インドネシアは2002年くらいに行ったっきりなので、15年ぶりくらい。当時は勤めていた会社の代理店がフルアテンドだったため、街の景色や、土地勘といった類の、ソフトな記憶はない。港町から港町に移動し、その間は暴飲暴食の疲れから、ずっと寝ていた気がするし、行く先々で高い飯を食い、高い飲み屋で酒を飲み、ずいぶん高級なホテルで眠った。ただそれだけ。 今回がどれほど違うのか…たぶん今日と明日はホテルに缶詰めで原稿を書いているだろうし。なんかもったいないな、と思いながら、今回というか、インドネシアに関しては仕方ないだろう。仕事だし。 南国特有の青い空と海。空の上からなので、青く見えるのは当たり前なのだけど、なんとなくそんなリゾートな感じを想像しながら。 少し場所を変えること(最近、ケニアに行ったばかりだが…)が必要な感じなので、これもよいだろう。 ジャカルタが近づくと、大きな入道雲がそびえたつ。少し揺れるかな、と思いながら、出張の資料を整理していると、いつの間にか機体は静かに着陸した。約7時間のフライト、映画も見られず、豊かなものだったとは言えないけど、まあ今回は仕方なし。少し準備が進んだ、ということで。 さて、インドネシアから帰るころには、状況は改善しているだろうか。 にほんブログ村

時間ナシ、人情ナシ、能力ナシ

超ネガティブです。 どこに吐き出すか考えたのですが、こういうことは自分のテリトリーに。最近ツイッターも適当に知り合いができたので、これは連動させません。 具体的にどの仕事とは言いませんが、今まで手を取り合ってやってきたと思った人にすっかり無視されるようになった。この方はもうなんだかよくわからないので、落ち着いたら何があったのかを聞いてみようと思うけど、それ以上にその影にたくさんの人にご迷惑をかけてしまっている。今日からリカヴァーをかけようと思ったら、どうも手も頭も重い。現実逃避しまくり、結局ダラダラこんな時間。 で、聞いているのが、テレサテン「つぐない」⇒渡辺美里「My Revolution」。

広島で地域研究のプラットフォームを!

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http://african-studies.com/より 引き続き、地域研究について。 広島に引っ越してきたものの、大学と大学そばの拙宅の往復の毎日。連れ合いも貴一朗もいるので、家にいることは全く苦痛でもないし、むしろ、最近はそんな静かな生活も悪くないとも思っているので、何人かの気の置けない友人たちとたまに食事をするくらいでもよかったのだけど、これも性分か、アフリカ学会で、広島近辺の研究者にちゃんとあいさつをして、「なんかやりましょう!」なんて、話してしまったので、後にも引けず… 少々「嫌々」な印象を与えかねない書き出しだけど、実は、結構乗り気。 7月はなかなかタイトスケジュールで、どうしても予定が合わない。しかし、広大の院生には、これから気楽に来ていただこうということで、0次会と称して今週末に広大にて開催させていただくことに。 アフリカ学会と言えば、地域研究や人類学が多くて、人類学会あたりと被っている人も多い。それにくらべ、広島大学には、国際開発、教育が多くて、どうもこういう方々がマジョリティになりそうな感じがする。地方色ではないけれど、比較的アフリカ学会本体の相似形にあった名古屋、京都を渡り歩き、この広島、中四国あたりのアフリカ研究がどんなふうに展開するのか、とても楽しみな会になりそうです。 にほんブログ村 にほんブログ村

地域研究というプラットフォーム

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4月から6月の学会シーズンが終わり、とりあえず一段落。今年は所属が変更になったこともあり、発表と名刺配りでだいぶ頑張った。 今年度のシーズン最終戦は、比較教育学会。どの学会でも、若手は学会に閉塞感を感じ、新たな方法やブレークスルーを狙う。実に健全な動きで、こうでなくては、その学問は発展しない。比較教育学会で参加した「ラウンドテーブル」はまさにその動きの大本営みたいなところだった。 この「ラウンドテーブル」は「これからの比較教育学を考える(2)」というもの。僕は、昨年の(1)に参加していないのだけど、昨年は「地域研究」的手法を取り入れる、ということがキーワードだったよう。今年は、それに基づいた、方法論の新たな地平を拓こうとするもの。しかし、昨年来の経緯を聞いていて、気になったのは、「地域研究」ということが、僕ら「地域研究」研究者とどれくらい共有できているのか、ということだった。たとえば、人類学と混同されていないか、また、「地域研究」が、「地域」という、ある分節された空間の中を網羅的に学ぶことに一義性があると思われていないか、など、こういうことが心配だった。方法論の研究であるので、やはり実行性がなければ意味がない。そういうところにコントリビューションできないか、ということが今回の僕の仕事だと認識して臨んだ。 結局、どんな風に理解されているかは語られなかったけど、少し講義じみたやり方をしてみたら、参加者はずいぶん熱気をもって聞いてくれていた。そのあたりから見ると、今のところ、僕が想定していた認識レベルからはそれほど離れていないことが読み取れた。 6月初頭に開催されたアフリカ学会。まさに地域研究学会の再大手なわけだけど、ここには、教育系の研究者はほとんどいない。毎年、2,3の発表のみだ。比較教育学会を見ていると、やはりもう少し、この間をしっかりつないでいった方がよいだろうという思いに至った。地域研究は、そのものとして強力なディシプリンがあるわけではなく、様々なディシプリンを取捨選択しながら行う、学際的研究だ。1950年代に起こったこの学問は、当初は、京大の今西錦二、梅棹忠雄らが組織したような集団調査が方法論としてメジャーだったようだ。推測するに、人類学者の一人学際研究が勢力を伸ばすにつれ、次第に今のような方法に固まりつつある。しかし、僕らがカッセーナ研究で行...

子ども学と子育てVol.6 クネクネ

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寝返りを打ったと思ったら、最近は横向きに寝るようになった。こんな時間まで作業をして、寝床に行くと、連れ合いと相似形な感じで寝ている。こんなのを写真に撮ると張り倒されそうなので、決してやらないのだけど、これと並んで、ここ数日間のお気に入り。 始めて映像をアップするのだけど、ちゃんと見られるかしら? クネクネダンス。朝方のご機嫌の時によくやってくれます。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村