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第10回まるはち人類学研究会

前日のアップになってしまった…10回目のまるはちは修論検討会。力作ぞろいの修論です。     * * * 日時 : 2012年2月17日(金) 13:00~17:40 会場 : 南山大学人類学研究所1階会議室 13:00      開始 13:00-13:10 趣旨・あいさつ・発表者紹介 13:10-14:00 奥村哲也(名古屋大学)『観光資源化される民族芸能の伝承に関する研究―沖縄市諸見里青年会の「エイサー」の事例から―』 14:00-14:15 質疑応答 14:15-15:05 中林那由多(南山大学)『たばこ喫煙の身体技法―工業製品の民族誌に向けて―』 15:05-15:20 質疑応答  15:20-15:30 ~休憩~ 15:30-16:20 中尾世治(南山大学)『物質文化としての史資料の分析に基づく西アフリカ中世史研究への寄与―伝播の考古学的人類学』 16:20-16:35 質疑応答 16:35-17:25 小山剛(名古屋大学)『花祭りの伝承母体における青壮年集団の役割についての研究』 17:25-17:40 質疑応答 17:40      終了

真面目にやろう、ダイエット。

どうもこうもない。ジョギングして脂肪の揺れを感じ、ちょっと歩いて息が切れ、調子がいいのが胃腸だけ、というどうしようもない体をどうにかしてやろう、ということだ。 今日も医者に行ってきた。昨年6月以来、4回目くらいだろうか。血圧は薬でずいぶん抑え込まれている。足が痛いのもここ3か月は出ていない。表面的には今のところただのデブ。 一応、年明けは忙しかった1月中盤を除き、かなりの頻度で泳ぎ、タニタメニューとかやってみたり。泳ぐのはずいぶん前から、暇があれば…という感じだったので、まあ、いいとして、すべては始めたばかり…結構頑張っているのに、今日プールで、「体重が増えている…」。実は先週1週間で1.5kg減った。 よく考えてみたら、日曜日に映画を見る前にモスバーガーを食べ(おやつ)、見ながらバケツ・ポップコーンを完食し、さらに夜は韓国料理をたらふく食べた。ちょっと気を抜いたすきに…というのはなかなか共有してもらえないだろうな…「三歩進んで二歩下がる」くらいでいくといいのだけど…

『ALWAYS 三丁目の夕日64’』

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久しぶりに劇場で映画を見た。毎回話題になる作品だけど、初発ではほぼ乗らない。みんなが面白い、という話はまずスルー。波が静まったところで、静かに見る。でも、今回は乗ってしまった。 舞台は昭和39年、東京オリンピックの年。前作では建設中の東京タワー、まだ戦争の余韻が感じられるような時代背景だったが、本作は高度経済成長期のまっただ中にある。バブルの前、僕には実感できる時代ではないけど、きっとそういう時代だったんだろう、というのが映画から見えてくる。 今、この時代を表現すれば、たとえば、坂本九の「上を向いて」などにあらわされる、上を向いていればよかった、単純化された経済社会状況として言いあらわされる。しかし果たしてそれほど単純だったか。 本作でも、三浦友和扮する宅間医師は、若き菊池医師(森山未来)とともに無料診療を行う。孤児、売春婦など社会的周辺にいる人びとに対して無償で医療を提供する。「社会」のメタファーである、病院は、非経済的な活動を抑圧し、菊池医師を排除する。しかし、それを止めない菊池医師、それに同調する宅間医師、さらに、宅間医師に「おカネで解決できないものがある」と言わしめる。「経済」の仕組みに行き詰った今の時代だからこそ、こうした部分に僕らは今の時代との接点を見いだせる。 高度経済成長期と名づけられた、経済に注目が集まる時代の物語。バブルのころのようなネオンの明かりに照らされたキラキラした時代ではないけど、少し色あせたセピア色に彩られる世界。僕の父や母が青春を過ごした時代。僕は知らない時代だけど、この時代の感性には十分に共感できる。50年後、この作品がどのような見方をされるのかわからないけど、できれば長く残ってほしい作品だと感じる。

伊坂幸太郎2009『終末のフール』集英社文庫

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先週末、栄のBook Offに初めて足を踏み入れ、『死神の精度』とこの『終末のフール』を購入。『死神の精度』は早々にやっつけ、ここ数日間は『終末のフール』を読んでいた。 伊坂は研究室内でも読者が多いので、飲み会のときのネタになりやすい。とてもスマートな文体だし、仕掛けも面白いので、「文学研究科」の大学院生にとっては、格好の「酒のあて」となる。 構成は8つのプロットで、最初のプロットで全体の前提が敷かれる。5年前に発見された小惑星が、8年後に地球に衝突し、人類が滅亡する、人類全体が残り3年の命と宣告された世界が舞台である。 解説を書いた吉野仁氏が的確に、そして完結に、この小説の見どころを書いているのだが、もっと簡単にしてしまうと、「死」を描くことで「生」、「生きること」の在り方を問う、これが本作品の狙いだろう。吉本隆明が引いたE・キューブラー・ロスの一節を吉野氏が引いている(曾孫引き…すいません)一節から。ロスは「〝死に至る″人間の心の動きを明らかにした」のだが、ほとんどの人は、死を「否認」⇒自分が死ぬことに「怒り」⇒生に執着するために何かにすがり(「取り引き」)⇒何もできなくなり(「抑鬱」)⇒最後に「受容」する、という5段階を経る、という。伊坂はこのロスの〝死に至る″人間の心の動きをたどっている、という。 この物語が始まる前、世界の滅亡が宣言され、殺戮が繰り返され、いわば社会規範自体が崩壊する。しかし、死を「受容」したタイムリミット3年のこの世界では、再び人が人を必要とするようになる。ニーチェあたりを下敷きにしていそうな、死を語り、ポジティブに生き抜かねば、という話なのかと思う。 「明日までしか生きられなかったら、何をするか」、よくカレーとかラーメンを食べる、と答えていたように思うけど、改めて「生きる意味」のようなことを考えてみたくもなった。 深くてさわやか、伊坂作品でも割かし上位にランクづけ。

「食文化と博物館 食べるフィールドワーク」2月8日@中部大学

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今年度は県内の短大で食文化についての講義を頼まれた。中尾佐助、小泉武夫…と並み居る大御所の中で、石毛直道氏の著作はもっとも参照にした文献だった。 調査地の幅の広さ、食器や料理器具、所作に至る、食にまつわる分析枠組みは非常に参考になった。すでに第一線からは退かれていることもあり、なかなかお話を伺える機会は少ないのだが、2月に講演会が設定されたので、さっそく予約した。 これ以上食欲が増してしまうのは困るが、「研究」のためにて。

グローバル化するプロ野球にも文化相対主義を

ドラゴンズに川上憲伸が帰ってくることが決まり、何やら福留も帰ってくるとかこないとか。数年前の雄姿を心躍らせて見ていた身としては、さほど活躍できなかった彼らの今の実力に小さな疑問符を打ちながら、とても楽しみにしている。 我々の世代では、野茂がメジャーに行ったあたりから日米間野球交流が本格的に始まったと認識しているのではないだろうか。あのころ、メジャーリーグにどんな選手がいたか、など、精々昔ベーブ・ルースがいたことを知っていたくらいで、まったく知らなかった。時々、どこかの球団がメジャーで活躍したxx選手が云々…ということを新聞記事で読む程度で、何がなんやら、だった。 あれから10年以上経ち、ずいぶんたくさんの選手がアメリカに行き、大半は夢破れて(たように見える)日本の球界に帰ってきた。「メジャー帰り」…確かに。しかし、その後メジャーに行く前よりも活躍できた選手は少ない。にもかかわらず…今年もたくさんの選手がメジャーを目指した。 ダルビッシュもその中の一人だったけど、彼の「勝負がしたかった」というのは、野茂以来のさわやかさがあった。ほかの選手はどうだったか。確かに、野球/Baseballが生まれた土地、アメリカは野球先進国、それは間違いないだろう。しかし、それにしても、「プロ」選手が自分の力/性質を客観視できない、ということもないだろう。 選手がどこでプレーをしたい、ということでどこに行こうがいいのだけど、たとえば、なんで野球が盛んになりつつあるところに行こうとしないのだろう。いろいろとそんなことを考えつつ、ストーブリーグの選手の言動を見ていると、彼らの発言がパターン化してい「た」のがわかるし、さらに、最近では、メジャーに行くことが、ちょっと一流になったら誰も疑わなくなってしまった感じさえ受ける。 たぶん、もう日米の野球の技術的な差などは対してない。むしろ、すでに違うスポーツだとする意見も目にする。そこで、我々の学問が共有する「文化相対主義」というのをプロ野球選手にも提案したい。文化相対主義というのは、「文化には優劣はなく対等だという大前提があり、そのうえで、まず、ある文化を外部文化のものさしでは測れない、という態度を保持すること。そして、自文化の枠組みを相対化したうえで異文化を相手側の価値観から理解すること」だ。 行くなら行ったらいいけど、僕ら「プロ野球」ファンは、でき...

何年か前なら最強だ。

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本日の『中スポ』。驚いた。川上憲伸が中日に復帰、という記事が… 川上が抜け、今のエース吉見が育ち、投手王国を築き上げた。確かに魅力的だけど、年齢のこととか、年俸でもめまくったこととか、メジャーでまったくうまくいかなかったこととか…確かにガッツあふれるプレースタイルはなかなかファンを魅了するのだが、なにかしっくりこない。憲伸は数字が悪いのに勝ちがついてくるパターンの投手で、吉見などの数字に基づいた成績を残す投手とは毛色が違う。ほかに川井などはそのタイプだけど、徹底的に内野ゴロを打たせるタイプだから出会いがしらで打たれるのが数字に反映されているから。しかし、以前のパワーピッチング、三振を取りに行くピッチングのままなら、もしかしたら難しいかな、などとも考えてしまう。 今年はもう一人、山崎武司がドラゴンズに戻ってくる。話題性は十分。間違いなく彼らが何年か前のままならムチャクチャに強いチームになりつつある。「何年か前の状態なら」間違いない。少し期待して見てみよう。今年も野球は楽しくなりそうだ。