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【フィールドワーク2025‐2026】ブルキナファソに到着:初動~Association pour la Promotion des Arts訪問

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Association pour la Promotion des Arts 調査3日目。ここまで大体予定通りにスケジュールはこなせており、とりあえず挨拶は大体終わり。あと1人、今回の調査の最大のミッションである、UJKZ(ジョセフ・キ-ゼルボ大学)のシリル・コネ先生との面会を明日に控えているが、後は昨日、今日で仕込んだ流れで進める。そして、すでにデータになりそうな話題もちらほらと、期待以上のデータがついてきている。教科書通りに言えば、ラポールが出来上がっている相手に会い続けているので、挨拶を済ませると、スムーズに話が進む。それぞれの新たな動きから、聞き取りの項目も調整し、初動の期間が終わる。 今回は久しぶりにUJKZの社会学者、アブドゥライ・ウェドラオゴ先生とも面会。例年、この時期はお連れ合いのいるスイスで過ごされることが多いが、今年はお連れ合いさんがブルキナで過ごす、とのことで、こちらでゆっくりされており、ずいぶん話し込んだ(深い話になるほどにフランス語の拙さが…)。 ともあれ、ぜひお連れしたいと言われていた、ウェドラオゴ先生が始めたAPA(Association pour la Promotion des Arts)を訪問した。2020年に先生ご自身が購入した敷地は、ディゲットを活用してブッシュ(この地域的には原生林)となり、中心には一本の道がアトリエに向かって通り、アカシアの木にはアーティストの作品が何枚も掲げられている。 敷地内に掲げられる作品。「乾季」だからできる展示 作品を鑑賞していると、敷地内で活動しているメンバーたちに次々と声をかけられる。早速作品の説明を聞き、植物を絵に盛り込んでいたり、ここで取れる植物を使って紙を作っていたり、なかなかに活発に活動している。 作品 アトリエで少し話を聞き、道を挟んで向かい側にあるもう一つの敷地は、ほとんどを畑が占め、整然と野菜畑が広がっている。生徒たちと一緒に取り組んだものなのだそうだ。なかなかに厳しい地域ではあるが、人が手をかけると整然として美しいものになる。 畑の説明をしてくれるウェドラオゴ先生 すでに何度も収穫がされている様子が見てとれ、子どもたちの食事に使われている。 この施設、10年近くに渡りテロが頻発し、住んでいたところに住めなくなった子供たち(家族がいる子もいる)が収容されている。名前の通り、「アー...

【フィールドワーク2025ー2026】ブルキナファソ渡航を前に

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  今回の旅のお供 キイチロウが用意してくれた「サンタさんのおやつ」 卒論の審査が終わり、年内にやらねばならないことはとりあえず一段落(しているはず)。クリスマスの明け方、キイチロウのプレゼントを仕掛け、キイチロウが用意してくれた「サンタさんのおやつ」をやっつけて荷造りをしています。読みかけの本といただいたのに読めていない本、後は読まねばならない本6冊を選び、とりあえずひと段落。 今回は、分担者となっている 科研費(25H00456、代表者:伊達聖伸) 関連の調査です。行先はブルキナファソ。調査の準備はあまりよくできておらず、何をどこまでできるかは、到着までに詰めてやっていきたいところ。兎にも角にも、今回のミッションは、来年招聘予定のジョセフ・キ-ゼルボ大学のシリル・コネ先生と打ち合わせをすること、そして、自分の本来研究でお世話になっているアブドゥライ・ウェドラオゴ先生に会い、意見交換をすることは決めました。その他、インフォーマント何人かにアポイントを取っているものの、1年半ぶりということもあり、安否確認や近況報告でかなり時間がとられてしますことでしょう。さてさて、今回はどんな収穫があるでしょうか。 2019年ころからテロが激化し、ブルキナファソもずいぶん遠い国になってしまいました。ツーリストのビザがなくなったのもあり、気軽に旅行…などということもできず、研究者では、とうとう私一人になってしまいました。とにかく、ブルキナファソの研究を切らさないように、研究者との関係を続けていくように、という最低限のミッションのために行っているような気がします。 また少しずつですが、現地の様子などもアップしていきたいと思います。

【映画】『カンタ!・ティモール』2011(監督:広田奈津子)、第3回「アフリカ・アジア現代講座」

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 12月19日(金)に開催された本年の 第3回目「現代アフリカ・アジア講座」 が開催されました。 今回は『Canta!Timor』の上映会を行いました。 熾烈な独立戦争を経て独立を勝ち取った東ティモール。インドネシア、そして、それを支援する西側諸国の援助の中、残虐な弾圧を受け、独立後も簡単にその傷は癒えるわけもない。しかし、東ティモールの人びとは、穏やかな笑顔をたたえながら、過去の罪を許しているようにすら見える。 この作品、当初は「1990年代の東ティモールの独立」に焦点が当たったものだと思っていたのだが、不意にその批判の刃は我われ日本に生まれ育った者にも向けられる。東ティモールは第二次世界大戦でも、ティモール島沿岸の海底油田をめぐって日本とアメリカが激しく戦った海域であり、もちろん、東ティモールにも大日本帝国による蛮行が及んでいる。長い独立の歴史を経て、彼らが言うのは、「もう我われで最後にしよう」ということ。こうした「許し」は、この映画を撮った広田監督のおおらかな人柄も強く影響していただろうが、人が争うことの、もしかすると唯一の解決策なのかもしれない。 この作品や、おおらかな広田監督の語りを聞き、思い出したのは、ブルキナファソのイマームをはじめとするムスリムたちの「tolérance(寛容さ)こそがイスラームの精神」という言葉だ。「赦し」、「許し」…宗教的な意味にせよ、世俗的な意味にせよ、人間が欲深い動物だからこそ尊いのかもしれないと思った。

【フィールドワーク】セネガル料理教室開催

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  チェブ・ギナールの出来上がり! セネガル渡航の際にもお世話になった、Keur Seigne Toubaの料理人、アリさんと温めていた「セネガル料理教室」、20名の参加者を得て無事に終了しました。 今回の企画は、Keur Serigne Toubaを会場として、大学生を中心とした参加者を募りました。埼玉開催にも関わらず、京都精華大学の学生5名が参加。その他、研究仲間の若林チヒロさんのゼミ生、東大や東京外大などが中心となっている MPJ のメンバーなど、様々な大学から参加していただきました。 調理の前に、アイスブレイクとして、セネガルの基本的な情報についての講義を30分ほど、そして、ブルキナファソ研究仲間である神代ちひろさんのイニシアティブで自己紹介、グループ分けをして、いざ調理開始。 アリさんの他、ムスタファさん、デンマさんなどがお手伝いをしてくれて学生たちとワイワイと調理に取り組みました。 ムスタファさんに料理を習う参加者たち 調理が一段落すると、アリさんが「寒いから…」と言って、牛すじのスープを出してくれる。コショウ少な目のとてもやさしいスープに参加者一同、最初の舌鼓。当初は、ファタヤなどを考えていたが、アリさんのアドリブの作戦成功といったところ。 アリさん(中央)の写真が全然なかった… 調理再開後、14:00ころにようやくチェブ・ギナールが完成。 チェブ・ギナール 誰からともなく手で食べ始める学生たち。むしろセネガル人たちがスプーンを使っていて、「反対みたい」と笑いながら、悪戦苦闘、ボロボロとコメ粒をこぼしながら、思ったよりもたっぷり食べていて、ほとんどの皿には、鶏の骨の山が残されていく。 食べ終わると、ボチボチという雰囲気が漂い、セネガル人たちも後は我われが…となりますが、学生たちが自主的に片づけを買ってでて、みんなでお片付け。学生たちは最後までセネガルの人たちと交流しながら作業していました。手前味噌ですが、精華の学生が一番体を動かしていました(0泊2日なのに!)。父ちゃんは誇らしかったですヨ! 学生たちが率先してお片付け 美味しかったです 普段男性たちが厨房に入るこの施設は、元飲食店でありながら、よく見るとかなりまずいところが見つかった。ガス代の鍋置きが割れていたり、ダクトがドロドロ、排水溝もねっとり油が溜まってほとんど詰まっている。あまり施設の...

卒業論文(2025年)

今年も卒業論文の提出締め切り日を迎えた。  今年は無事に全員が期限内に提出。昨年、一昨年とはまた違った雰囲気の中、とりあえずの形が整いました(と願いたい…ちょっと不安も…)。 今年の学生たちは、あまり研究室にもやってこず、メールでの添削が中心でした。まあ、比較的常識的な学生たちで、ほとんど提出遅れなどもなく、僕の方も時間をコントロールする、という面では助かりました。ですが、そこはやはりメール。難しい点もたくさんありました。例えば、指摘せねばならないところを落としていたり(メールのルールが徹底しきれずに指摘が累積していかなかった)、指摘の趣旨が伝わっていなかったり、このあたりがとても難しかった、というのがありました。何度も「研究室に来てくれればよいのに…」と思いました。このあたりが大きな反省点です。 ともあれ、間違いなくよく頑張ったし、学生たちはしっかり休んで次のステップに進むための英気を養ってほしいです。 こちらもとりあえずひと段落つきました。この後は、年末年始のブルキナファソ渡航の準備や若干滞り気味だった校務をこなしていきます。原稿も書かねばなりませんし。

1001夜目を迎えるにあたり

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2010年7月に始めたこのブログが1000エントリーに到達しました。実に現在2025年11月なので、15年4カ月(304か月、36歳~51歳)の達成です。そんなに長いことやってるんですね。改めて計算してみて驚きました。年間、60エントリー強、月に直すと5本ほど、大体週1ペースということになります。細く長く、という感じでしょうか。途中1年以上更新しなかったり、一日に複数本エントリーしているので、かなりムラもありました。 元々は書き癖をつけるために、できるだけ毎日キーボードを打つため、ということを考えて始めたこのブログ(今でも自信はないですが、当時の日本語は悲劇的でした…)。とにかく何でもかんでも書いていましたが、文章を早く正確に書く、ということを考え始めてから次第に読まれていることを意識するようにし(グダグダにならないように)、いくつかのテーマについて継続的に書く、文体のパターンを作る、といういくつかのルールを課しているうちに、何か定型化されて来ているようにも思います。内容として読みやすくなってきているのか、定型化されてつまらなくなっているのか…このあたりは?ですが、論文や本を書いていないときでも、何かしらメモをする場としては、やっていてよかったと思います。 さて、この下は完全な自己陶酔の記録ですので、万一このブログに迷い込んでこられた方はこの辺で。 このブログを書き続けたこの15年、どんなことがあったのでしょうか。 1. キイチロウが生まれ、もう10歳になる 別の媒体に写真を写してしまったので、なんだか中途半端なところから始まっていますが、一番上が京都に引っ越してきたころ(2019年-2020年)のキイチロウ。一番下が最新(2025年10月)。多分この頃の倍くらいの体重になっています。昨日、久しぶりに抱っこしてみたら、いろんなものが溢れていました。今度の2月で10歳。ハーフ成人を迎えます。基本的にひょうきんでニコニコ。最近ちょっとわがままになった気がするけど、大人の感情の襞を敏感に感じる繊細な感性も持っていたり。【アフリカ子ども学と子育て】というシリーズでキイチロウの成長をメモしていますが、改めて見直してみると、赤ん坊から子どもへ、そして、少年へとすくすくと育っているのがよくわかります。 2020年春 2022年ころ 2023年ころ まだパッツン前髪 2024年赤の...

ブルキナファソのビザ情報

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  2023年2月以降、ブルキナファソの観光ビザの発給が中止となった。2022年9月、激化する過激派によるテロ行為の最中に起きたトラオレ現大統領によりクーデタがおき、大きな混乱を呼び起こした中で取られた措置であった(2024年5月26日の選挙でさらに5年間の暫定大統領として選任)。また、2024年12月5日以降、大使館でのビザ受付ができなくなり、オンラインのみとなった。物理的にも治安的にも遠い国ではあったのだけど、制度としても少しさらに遠くなってしまったような気がする。 これまで旅行者ヴィザで入国していた(しかも、とある理由で5年間の特別ヴィザをいただいていた経緯もあり…)が、これを機にカンファレンス・ヴィザが我われに唯一残された手段となったのだが、ちょうどこうした措置が取られる直前からワガドゥグ大学の複数の先生方と交流を始めることができ、インビテーションレターを取ることが可能となった。何人かの先生に交代でインビテーションレターを書いてもらい、ヴィザ取得をしている。 ちなみに、ブルキナファソは2022年のクーデタ後、フランスとの関係が冷え切った。いろいろなことが言われているが、ブルキナファソの堪忍袋の緒が切れた、というところではないかとみている。エア・フランスは2023年8月7日に治安の悪化を理由にブルキナファソ政府に無断で運航を停止し、その後現在まで就航再開を許されていない。また、下のようにフランス国籍保有者はヴィザ自体が発行されないことになっているので、フランス経由での入国は現時点で不可能なので、注意が必要。 Alerte:  Si vous êtes de nationalité française, le visa est refusé. Le délai pour les autres nationalités est de 4 ou 25 jours non garantit et sans remboursement (Belgique, Suisse, Canada, Luxembourg etc.) オンラインヴィザの ウェブサイト には、上のように書かれている。つまり、「あなたがフランス国籍であれば、ヴィザ発行は拒否されます。他の国籍の方は、有料かつ返金不可の条件で 4日~25日の期間で発行されます」。 【カンファレンス・ヴィザ...