博論執筆日記 Vol.2 フィールドノート
尾道の夕暮れ 特に意味はない フィールドノート。何度かこのブログにも出てきたが、人類学者というか、フィールドワーカーにとっては、宝物だし命の次に大切と言ってもよい。人それぞれで位置づけは違って、単なるメモ帳の人もいれば、僕のように、すべて書き込むタイプもいる。 研究を始めてかれこれ60冊ほどのノートがあるのだが、最初からすべて書き込む、というスタイルではなく、最初は記憶力が悪いくせに、ほとんどノートもとらず、さらに見返しもしない。よく修士論文が書けたな、と思うほどだ。いろんな経験とほかの人のノートの取り方を見て、例えばトピック毎にノートを分けてみたり、また1冊にまとめてみたりして、今はすべてを時系列的に並べて、できるだけ詳細に、図をできるだけたくさん入れる、というスタイルに落ち着いて3-4年になった。結局、正確な情報を映像と共に思い出せるようにしようと思うと、情報をクラスト化するのはあまりよくない、という結果に落ち着いている。今のところ、である。 さて、文化人類学の論文(博論に限らず)はこういうノートを清書し、それをまとめて分析し、そこから生まれてくる。もちろん本も大事だけど、僕のスタイルはフィールドのデータが命なのだ。 さて、大きな話を書いた。なぜフィールドノートのことを書いたか、というと、実は未整理のものがかなりたくさんあるのだ。数年前から、ヴォイス・レコーダーを3台体制にして(埋まったことはない)音声データもあるから、かなり再現性はあるのだが、これがすんごい時間がかかるのよ。ノートだけですでに数百ページあるけど、これをさらにまとめると…いつ終わるんだろ?