卒業シーズンも一段落。毎年、いくつかの学校の祝辞が注目されますが、今年も素晴らしいものが紹介されていました。 立教という学校には全く縁もゆかりもありませんが、たまたま2つの祝辞に接する機会があり、それらにいたく感銘を受けました。双方、それぞれのホームページから拝借してきました。是非ご一読ください。 立教新座中高の渡辺校長の「祝辞」は、実際には生徒の前に話されていないようです。2011年のものだからです。3.11後、多くの学校の卒業式が中止され、「祝辞」は「メッセージ」と呼び換えられたのが印象でしたが、こうした時期だからこそ新しい門出を迎える若者たちに言葉をかけたい先生たちの言葉はより鋭く、重いものになっていきます。以 前、 高橋源一郎さんの祝辞 を紹介しましたが、これも大変すばらしいものでした。 渡辺校長は、大学に進むことを「海に出ること」にたとえ、「津波」に負けない強い人間になるように訴えています。 「 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。」 ちょっと熱すぎるか、そんな風にも思ってしまいますが、大災害で混乱した当時の社会でのこと、敢えてこうしたことを述べられたのだと思います。 このメッセージを受けた立教新座の高校生たちが進んだであろう、立教大学の吉岡総長は(大学院の卒業式でのものですが)、大学という、知の海で、「考える」ことの大切さを説きました。大きく首肯できる、今の時代にとても大切な言葉を紡がれたと思います。 「 大学は「物事を根源にまで遡って徹底的に考える」場所です。 やや誇張した言い方をすれば、大学が存在しているのは社会の中で大学以外にそのように物事を徹底的に考える場所が他にないからです。もしもそのような場所が、社会の至る所にあるのであれば、大学は不要でしょう。 あるいは逆に、社会がもはや考えることを全く必要としないのであれば,(そのような社会が望ましい社会であるか、そもそも人間の社会と言えるかどうかは別として)、大学は存在意味を失うことになります。 立教大学は、今述べたような「徹底的に考える場所」であることを自らに課してき...
65点でした...まあまあかな...
返信削除よくできました。65点なら立派です。
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