ブルキナファソ・カメルーン調査② ブルキナファソ

今回のブルキナファソ滞在中、ほんの一瞬だけコングシのプロジェクトのサイトを訪問。おそらくしばらくこちらに来られないことを考え、ご挨拶と事情の説明をした。

今年は雨の降りが悪く、昨年44回あった降雨が、今年は22回。ソルガムの茎は細く、かなりの数が風で倒れてしまっていた。それでも、ラッカセイやササゲはそれほど悪くないようで、何とか食いつなげるか、というところらしい。

採れたてのラッカセイ
この地域、ほぼレベル4のあたりに近く、僕が訪れる数日前にも、同じ県内で襲撃事件があった。とても気になるのが、「温和なブルキナべ」の間にも、かすかに民族間の亀裂が見え始めていることだ。現在の西アフリカの混乱は、表面的にはいくつかのイスラーム過激派が引っ掻き回していることがその原因だと思われているが、ブルキナファソはこの騒動の中でも周縁部にあたり、マリやニジェールのそれとは若干様相を異にする。

ブルキナファソ、特にモシ社会の中では、イスラームと言えば、ヤルセ(マンデ系)、ハウサ、そしてフルベがその中心にいるが、通商民であるヤルセやハウサは比較的うまく溶け込んでいるが、遊牧民「だった」フルベは、様々なレベルで農耕民とコンタクトを持つ。よくあるのが、フルベがモシの家畜の世話をし、その見返りに穀物を獲得する、また、フルベの家畜を農耕民モシの畑に駐留させて土地の回復を担う、など、持ちつ持たれつの関係性を保ってきた。しかし、人びとの間で、ジハーディスト☞ムスリム☞フルベという連想ゲームが共有されるようになり、そして、実際に起こる暴力事件(もしかするとイスラームの文脈とは一切関係なく)がさらにそれに拍車をかけている、という図式が定式化されてしまっているように見えた。

前回の調査では、調査地の村に住む、フルベの家族の下を訪れたが、どことなくよそよそしかったし、これまでほとんどNGOの支援を受けていないようだった。この村に畑を借りているので、説明に訪れる段になると、NGOの代表は事前に電話をかけて、フルベの様子を探り、私が村に着くと、カラシニコフをもったクリストフさんが…彼は狩人なので、銃を持っているのはあり得ることだが、完全に護衛である。畑の巡検は和やかに進んだが、状況はここまできていることはとても残念なことだ。
ラファエルさん(右)とクリストフさん(左)
調査地の巡検が済むと、帰りがけにチルメンガのお宅を訪れる。こちらも相変わらず和やかな笑顔で僕を迎えてくれ、いつものように食事とチャパロを用意してくれていた。半年前から酒断ちをしているチルメンガ。なんか写真もずいぶんくたびれた感じに映ってしまっているが、まずまず元気にされているよう。今年は、5月にゴマのソースが食べたい、とお願いしていたこともあり、ゴマをたくさん作っているとか、植林が割とうまくいっているとか、雨が少なくて、ソルガムがあまりよくなさそうだとか、いつも聞いていることを話し、やはり、またしばらく来られないことを伝えると、とても悲しそうな顔をされてしまった。今回はどこに行ってもこんな調子で、なかなか切ないブルキナファソ滞在だった。
酒断ちをしているチルメンガ
治安悪化のニュースを見るにつけ、また調査難民になってしまうのかな…と思い、セネガルで調査を展開するか、コートジボアールあたりにするか、はたまたギニアあたりをやってみるか…とぼんやり考えていたのだけど、こんな時だからこそブルキナをやり続けようと思うようになっている。ずいぶんふらふらしたおかげで、ワガドゥグやコングシだけでなく、安全上問題のない、いくつかの調査地はある。そして、その中のいくつかは、プライオリティを高く設定していた場所で、このあたりをボチボチと続けていこうと思う。

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