想田和弘2011『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』講談社_760円(税別)


研究室の同僚に勧められた、想田和弘氏の映画、『牡蠣工場』(2月公開)。想田氏のHPを見ていると、「観察映画」という、なんとも好奇心をそそるタームが。しかも、何冊も本を書かれているし、ドュメンタリーをかなりたくさん撮られている。そんなわけで、映画の前に、まずは本から、と思い、この本に手を出してみた。

人類学にも「映像人類学」というのがあり、映像人類学とドキュメンタリーの境界はどこにあるのか、ということは、ずっと疑問に思っていたこと。今更な疑問なのかもしれないが、機会があるたびに映像人類学者には尋ねてきて、今のところ、すっきりと疑問が解決した、ということはない。しかし、この本で逆側(ドキュメンタリー作家側)から行われる言明は、この疑問をますます深めた。これは、とても良いことで、ドキュメンタリー作家が人類学に接近してきている、ということがよく分かった。

まず、想田氏は、ドキュメンタリーが客観的な表現をしている、ということを真っ向から否定する。前もってテーマを決めない、スタディーしない、という制作の態度は、とても興味深い。人類学なら、逆にありえない話だ。ただ、そのために台本を作らない、想田氏はそのように語る。まず、台本を作らなくてもよくなった、そのことを次のように語る。

「デジタル革命は、それまではワイズマンなどひと握りの超エリート作家だけが作れるものであったドキュメンタリー映画を"民主化"すると同時に、作品の製作過程や方法論を"自由化"したと言えるのである。それは、ドキュメンタリー映画のみならず、広く劇映画にも波及した革命」(60)

台本を必要とした、過去のドキュメンタリー製作過程⇒技術革新による長回しが可能になったことで低コストで長い映像が取れるようになり、台本自体が必要不可欠ではなくなったということである。この前提があって、想田氏の「観察映画」が成立する。

「しかし彼の状況を説明するために、「知的障害」とか、「発話に何らかの障害」とか「足に障害」と表現した瞬間に、植月さんは規制の「障害者」というイメージに押し込められてしまう危険がある。言葉=理解の枠組み=我々の思考回路そのものだからだ。だからこそ、そうした表現を使わずにこの原稿を書くのは、実際には難しい。ジレンマである。
 逆に言うと、映像にはそのような言葉の呪縛、つまり固定観念を乗り越えられる可能性がある。既成の言葉を介在させることなく、現実をダイレクトに映し出すことが可能だからだ。だからこそドキュメンタリー映像は、うまくすれば、現実を理解する枠組みそのものを溶解させ、更新するための契機になり得る。ドキュメンタリーにナレーションによる説明が不要であることの、もう一つの重要な理由であろう。」(137)

「(映画を撮っていて)僕が安全な観覧席にはいられなかったことは、自らの存在が「正義の味方」と「加害者」の間で常に揺れ動いていたことからも、分かるであろう。映画作家は現実を撮ったり、その作品を公開したりすることで、現実そのものを変えてしまう。現実と作家が無関係でいることは、あり得ないのである。
 それは、文化人類学者たちがアフリカの奥地などでフィールド・ワークをした際に、自分が記述しているのは、"手つかず"の現実なのだろうか、それとも自分たちの存在で変わってしまった現実なのだろうか、と悩んだのと共通のジレンマである。
 しかし、もはや僕はそう悩むことすら、時間の無駄ではないかと考えている。つまり、隠しカメラでも使わない限り、映画作家が撮れるのは、撮影者の存在によって変わってしまった現実以外に、あり得ないからである。
 したがって、観察映画の「観察」は、必ず「参与観察」という意味になる。参与観察とは、文化人類学や宗教学などで使われる用語で「観察者も参加している世界を、観察者の存在も含めて観察する」ということである。要するに、観察映画では必ず、作り手である僕自身も含めた観察になるわけである。」(170-171)

上の2点に関しては、本当に興味深い。想田氏の映像のもつ力の可能性と限界の意識はとても興味深いし、人類学の「参与観察」をを巧みに利用しているのがわかり、とても面白い手法を使っているのがよくわかった。

しかし、やはりどこかしっくりこないのが、テーマを決めないことで、なんだか行き当たりばったりになってしまいそうなこと、あともう一つ言えば、一本の線が引けないことで、考察が浅くなってしまいそうなことも気がかりだ。本当にどんな作品を作っているのだろう…

ともあれ、作品を見ずになにを言うか、と怒られそう。もう一冊読んでから見ようと思っているけど、我慢できるかな…

[目次]
プロローグ
第1章 撮る者と撮られる者
第2章 「台本」と「分かりやすさ」を捨てて-観察映画とは何だろう(基本編)
第3章 ドキュメンタリーの面白さ-観察映画とは何だろう(発展編)
第4章 一期一会のドキュメンタリー
第5章 映画が連れて行ってくれる場所
エピローグ


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