Bobo Diulasso, Banfora2


モスクへ。

ワガドゥグの大モスクは1950年代の建設。ボボ・ディウラッソのモスクは1880年建設なのだそうだ。よって、ワガドゥグのモスクよりも70年ほど古い。

皮肉にも、この二つの時期は大きく植民地時代と重なる。

新しい方から見てみると、今年2010年が「アフリカの年」から50年。すなわち、1960年に一斉にアフリカ諸国が独立を始める。1950年代、というのは、この胎動が確認できる年代なのである。

そして、1880年という年。フラニの「ジハード」が盛んな年代で、フランス植民地主義に住民/イスラームが立ちあがった時期。いずれにしても、イスラームは西アフリカにおいて、いわば「錦の御旗」的な存在であったといってよいかもしれない。

この時期にこのボボ・ディウラッソのモスクが誕生したのは、この時代の流れと少なからず関係しているはずだ。ガイド氏によれば、「このモスクの建設には、ムスリムだけでなく、クリスチャン、アニミストが自発的に参加した」という。「白人」向けのガイド。決して、「なぜ」という問いに答えを持っているはずだったが、そこまで突っ込んで聞くことができなかった。自身の信条を超えた団結の象徴、ボボ・ディウラッソのモスクは、イスラームの遺産(現在も十分に稼働しているが)というよりも、もっと人間的な歴史を含みこんでいる。
モスク内部。厚い土壁でできている。壁の材料は、バンコ(日干しレンガ)、灰、土だそうだ。
今年のアフリカ学会で、ジェンネのモスクの発表をされた伊東さん(アフリカ学会URL http://jaas.sakura.ne.jp/taikai/47kai/fixed_program.pdf)がおっしゃっていた、日干しレンガについて質問したところ、思った通り、「丸い」日干しレンガを使用していた。不思議な話しで、なんで四角いレンガを使わないのだろう…


さらにマニアックに。
この建設方法、ジボDjiboの家屋、サガボテンガSagbotingaのモスク、全部一緒。木材(材質は分からなかった…)をびっしり張り巡らせる。格子状に張ればズレなくていいのに…とか思ってしまう。土が上に乗るから強度的にも弱いような気がする。
しかし、130年間、大きな改修をすることなく、持ちこたえているのだから、まあ、これでいいのだろう。
屋根の上に着いている明りとりの窓。ふたがカワイイ。サガボテンガのモスクは横に明かり窓があったような気がする。ふたをつけるあたりが、雨の多いボボディウラッソらしい。

そんなわけで、初日から結構充実した観光になった。Kさんに通訳をしつつだったが、このモスクを見られたので、後はお釣りのようなもの。まあ、なかなか楽しかったのだけど。【つづく】

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